八百万のかみのやしろ巡り

松山八社八幡


一番社 伊佐爾波神社(湯月八幡宮)
 八社八幡の原型は、『豫章記』に「伊豫国司の源頼義が在国している時、河野親経と共に国中に四十九ヶ所の薬師堂と八ヶ所の八幡宮を創建した」とあり、延久年間(1069-74)に、おそらく伊豫國内の限られた地域内(河野氏の当時の支配域)を対象に始められたものと思われる。
 松山八社八幡は近世初頭に加藤嘉明が松山築城した際に、松山城を守る砦の役割として今の八社を定めた。古来より伝わる「八社八幡」をモデルにしたのではないだろうか。
 松山八社八幡は江戸期を通じて、松山藩久松松平家の崇敬を受け、現代まで信仰が続いている。
一番社 伊佐爾波神社
愛媛県松山市桜谷町173
二番社 桑原八幡神社
愛媛県松山市畑寺町440番地
三番社 日尾八幡神社
愛媛県松山市南久米町2番地
四番社 雄郡神社
愛媛県松山市小栗3-3-19
五番社 日招八幡大神社
愛媛県松山市保免西1丁目4-3
六番社 朝日八幡神社
愛媛県松山市南江戸5-1569
七番社 還熊八幡神社
愛媛県松山市御幸1-253
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