中氷川神社
なかひかわじんじゃ
参拝日:2017年4月10日

2017年4月10日午後の参拝。
廣瀬神社、
阿豆佐味天神社、
出雲祝神社、
中氷川神社(三ヶ島)、
北野天神社からの巡拝。
JR箱根ヶ崎駅からはレンタサイクルで巡っている。北野天神前交差点から南へ進み高橋交差点を目指す。途中若干の登りになり、ふとももが少しずつSOSを出し始める。高橋交差点から県道55号線を東へ400mほど進むと中氷川神社の南側の参道、大きな社号標が目立ち、鳥居もあるのですぐにわかる。東側にも参道がある。13:00頃到着。
埼玉県所沢市山口に鎮座。狭山丘陵の北側のなだらなか傾斜地を一旦荒川水系柳瀬川が横切って谷を形成し、その北側の丘の上にある。江戸時代には氷川村と称し、鎌倉時代には中氷川村であったとも伝わる。また柳瀬川は氷川とも呼ばれていたそうだ。西武狭山線下山口駅から西へ直線約1km。南西約1.5kmには西武ドームがある。
延喜式神名帳に記載のある入間郡五座の内、中氷川神社の論社の一社。足立郡の名神大社氷川神社と西多摩郡の奥氷川神社の中間点に位置し、それらとあわせ、上中下の三社形態を採っていたと推察される。
社伝によれば、崇神天皇、あるいは成務天皇の御宇に創建され、武蔵国造が奉斎した社であるという。
中世には、武蔵七党村山党の支流、山口氏の崇敬を受けていたらしく、鎌倉時代初頭と南北朝~室町期に山口氏による社殿の造営が伝わる。
明治40年には、近隣の(地名はおそらく字名)陣屋、大西の稲荷社、谷戸、新田、荒久の氷川社、椿峯の八坂社、山王峰の日枝社、弁天前の市杵島姫社、大塚の浅間社を合祀。昭和4年には山口貯水池の湖底に埋もれた七社神社が合祀された。
式内中氷川神社には所沢市三ヶ島の中氷川神社とあわせて2つの論社があり、ともに確定要素を持ち得ていない中、江戸時代の文献では『神社命附』『巡禮舊神祠記』『神社覈録』『神祇志料』『大日本史』など三ヶ島の中氷川神社を推している例が多い。
大正14年の『特選神名牒』は、山口村観音の近辺はかつて中氷川村といい、そこの社(当社)が式内中氷川神社であると断定した。この事象と合わせるように神社の昇格運動も盛んになったらしい。
『式内社の研究』は特選神名牒の説に追随し、祭神も大己貴命としている。『武蔵の古社』は推定という表現である。両書とも地名の他に近くにある古墳や、現代に入って境内地で出土した祭祀土器を証跡にしている。
県道55号線沿い、高橋交差点と山口城址前交差点のほぼ中間点に南向きの参道、鳥居がある。境内の東側にも東向きの参道と鳥居。二つの参道は境内で合流して社殿に向かう。社殿までに階段があり、東向きに社殿が建つ。境内社に金刀比羅神社、八坂神社、秋葉神社、市杵島姫神社、諏訪神社、石上神社、稲荷神社、和魂宮がある。
南側の参道入口

県道55号線沿いにある。通りは車の往来がそこそこあった。
南参道の鳥居

「懸社中氷川神社」とある社号標。
南参道

境内へは階段を上る。こちらは明神鳥居。
南参道

階段を上った先の参道。先にあるこちらの鳥居は神明鳥居。社殿へは鳥居の先を左へ直角に曲がる。
東側の参道入口

こちら側の参道が社殿と相対する位置にある。
境内

境内地は広く、社殿は一段高い地に建つ。林立する樹々が印象に残る。
拝殿

入母屋造。シンプルですっきりしていて良い。
社殿

幣帛殿の張り出し部がある。
拝殿の社号扁額

明治11年、有栖川宮幟仁親王の筆によるもの。
本殿

大社造。「大社造になってるんや~」とつぶやいてしまった。
境内社は社殿へ向かう階段参道に一社、他は社殿の周囲にまとまって鎮座している。『式内社調査報告』には以下の境内社の他に八雲神社とあるが、見つけられなかった。
金刀比羅神社

参道の途中にある。
四社合殿の境内社

左から八坂神社、秋葉神社、市杵島姫神社、諏訪神社。
石上神社(左)と稲荷神社(右)

社殿の左側にある。
左側の石碑には「愛宕山大権現」とある。
和魂宮

神饌所?

東参道の鳥居をくぐって左側にある。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
西武狭山線下山口駅から境内正面まで徒歩約15分。北野天神社に足を延ばして小手指駅へ向かっても良い。
ところバス(市内循環バス)の路線にもなっている。
参拝者駐車場=あり 駐車=バイク〇自動車〇。
駅から徒歩圏内、バスもあるので容易。
参拝時間は境内社を含めて約10分ほど。
[作成日]2018年2月21日
[更新日]2018年2月21日
[参考]
・当社パンフレット「中氷川神社」 ・式内社調査報告 ・武蔵の古社 ・式内社の研究