八百万のかみのやしろ巡り

高忍日売神社

たかおしひめじんじゃ

参拝日:2016年10月4日

高忍日売神社  
所在地:

愛媛県伊予郡松前町徳丸387 [地図]

御祭神:

高忍日賣大神、(配神)天忍日女命・天忍人命・天忍男命

公式頁:

http://takaoshihime.jp/

社格等:

延喜式内社 伊豫國伊豫郡 高忍日賣神社

明治6年郷社

 
 2016年9月下旬から松山出張で、最初の休日の2016年10月4日松山市近郊の神社を巡拝しようと計画した。湯神社伊佐爾波神社波賀部神社徳威三嶋宮浮嶋神社伊曽能神社と巡拝した後、北方向に直線約800mの当社の参拝。

 伊曽能神社から近いのですぐに到着、13:50頃。到着してみると、神社前の道沿いに車がたくさん止まっていて人が多い。どうやら神社併設の幼稚園のお迎え時間に重なってしまった。そんな中で知らないおじさんがウロウロして撮影するわけにもいかないので、先に参拝して拝殿から撮影したのを、これを書いていて思い出した。

 創建年代は不詳。伊予郡松前町徳丸に鎮座する延喜式内社伊豫國伊豫郡四座のうちの一社。境内は社叢が青々と生い茂る中、とてもきれいで居て心地よい。社前には農地が広がってのどかな環境。

 高忍日売神社は全国で唯一、産婆(助産師)・乳母の祖神、高忍日賣神を祀り、信仰されている社。鵜葺草葺不合命の出産の際、高忍日賣神が現れ、天忍日女命・天忍人命・天忍男命にそれぞれ役目を与えて、豊玉姫命の出産を助けたことがその由来。

 祭神は変遷、というか定まってなかったようで、高忍日賣神が固定化されたのはいつ頃なのか、資料がなくわからない。

 祭神の記述についての文献を年代別に並べると、
 享保の社記「天忍男命、大鷦鶺命、阿俾良姫命」。
 別の社記(年代不詳、式内社調査報告の順による)「阿俾良依姫命、天忍人命、天忍男命、天村雲命、大鷦鶺命」。
 『伊豫古蹟誌』「天忍男命、大鷦鶺命、阿俾良姫」
 江戸末期の社記「天忍人命、天忍男命、天忍姫命」。
 『伊豫温古』「三神は皆男神なるは如何」
 『特選神名牒』「今按註進状祭天忍人命、天忍男命、天忍女命とあれど、何れも神名の忍日賣とあるによりて附會せしものにて取りがたし。高忍日賣神としてあるべきなり」。
 『明治神社誌料』「天忍男命、天忍人命、天忍雄命」。
 大鷦鶺命は鎌倉時代に勧請した若宮八幡神だろう。阿俾良姫命と阿俾良依姫命は同神だろう。阿俾良依姫命、天村雲命は天忍男命の両親とする説あり。明治神社誌料は混乱しているか、誤植か。明治年間中は、はっきりと高忍日賣神とはされていなかった様子もうかがえる。

 当地は古くから開けた土地で、5世紀後半の大規模な祭祀遺跡(出作遺跡)があり、奈良時代には神社の前を三千坊、神社の裏を千坊と呼ばれるほど繁栄していた。
 鎌倉時代には神社の北東と南西にある夷子社で月3回の市(三斎市)が開かれるようになり、戦国期までは大いに栄えていたそうだ。
境内入口の鳥居

 
鳥居と玉垣と神門

このように道路に面している。
神門

 
神門の社号扁額

「大旱魃紀念」とあり、昭和9年10月の日付がある。この年は西日本一帯が未曾有の大旱魃で多くの文献記録も残されている。
神門前の社号標

「延喜式内高忍社」とある。年代は記されてなかったのかな。撮影してなかった。
 
拝殿

回廊(出口)

 
回廊(入口)

社殿を取り囲む回廊が設けられている。右側が入口。社殿をしっかり目にすることが出来るので、僕にとってはとてもうれしい。珍しいが、中予地域では、伊佐爾波神社、伊豫豆比古命神社にもある。他にもあるのだろう。
拝殿内陣

終始オープンな感じの気持ちのよい社。
 
本殿

境内社が本社社殿の右隣に規模の大きい素鵞神社、
境内の左側の南西部、奥から金刀比羅神社と天満宮、若宮八幡宮、生目八幡宮、天照皇太神宮の三社合殿社、
境内の右側の北東部、奥から詳細不明の社と稲荷社、
その他楠の根本にうぶすな様がある。
また境外末社として中川原の素鵞神社、大間の素鵞神社があるが、そちらには行けていない。
素鵞神社拝殿

 
素鵞神社本殿

数多く合祀されている。表札の右から道祖社、鮒川神社、一宮神社、素鵞神社、恵美須神社、諏訪神社、奈良原神社、龍王神社。拝殿前に母子と助産師の碑がある。
天満宮、金刀比羅神社

 
三社合殿社

左から生目八幡宮、若宮八幡宮、天照皇太神宮
七生稲荷神社

 
上市夷子社?

かつて当社の鬼門の方角約300mの地に上市夷子社、裏鬼門の方角約300mの地に下市夷子社があった。いま上市夷子社は無く、下市夷子社は徳丸公園内の少祠となっている。この少祠の背後に上市夷子社についての掲示板があるので、あるいはこの少祠が上市夷子社なのかもしれない。ちなみに本社本殿から鬼門の位置にある。掲示板の内容が、掲示板の周囲を説明しているものではなさそうで、ちょっとよくわからない。この地で開かれていた市についてはよくわかる内容になっている。

うぶすな様

 
境内

連理の枝

この上で二本の木の枝が繋がっている。
 
連理の枝

たしかに繋がっている。
到着した時、神社前の道は多くの車が止まり、人もいたのだが、参拝して境内を撮影してから、境内を出ると、まったく人が居なくなっていた。怪しまれずに撮影できてヨカッタ。決して怪しくはないつもりだが・・。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線北伊予駅から約1km。
駐車場=10台ほど可能あり
駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩、バイク、自動車は容易に到着できる。
境内社を含めて参拝は約15分程度の見込み。
御朱印は社務所在宅なら受け付けている。
[作成日]2025年02月13日
[更新日]2025年02月13日
[参考] ・高忍日賣神社公式HP ・愛媛県神社庁HP ・式内社調査報告 ・明治神社誌料 ・特選神名牒
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