高田神社
たかたじんじゃ
参拝日:2011年11月7日
2011年11月7日の参拝。富山県での所用のため出かけることになり、飛騨国の式内社を巡ろうと計画、
水無神社、
荏名神社、
荒神社、
槻本神社、
阿多由太神社、
荒城神社からの巡拝。荒城神社を出る時には15:00になっていて、空模様も狭い青空がたまに見える程度、気温も下がってきている。予定通り回ることが出来るのか、そろそろ焦りも出てきた。明るい内に富山県内に入りたいと思っていたが、この時点であきらめている。
県道473号線、76号線を西進して国道41号線に戻る。広瀬交差点から北上して、JR杉崎駅付近の中野交差点で右折、JR線を越えて県道75号線に入り、高田神社を目指す。15:20頃の到着。
岐阜県飛騨市古川町太江に鎮座。古川町から神岡町に向かう、旧国道41号線沿いに鳥居が建っている。宮川に沿って広がる古川町市街地からそろそろと峠越えの登りが始まる地。一の鳥居からは車も通れる参道の先に玉垣に囲まれた境内。
延喜式神名帳に記載のある飛騨國荒城郡高田神社の論社。式内高田神社は国史にも三代実録に貞観9年(867)高田神に従五位上奉授の記事がある。
飛騨国の式内社八社は近世には槻本神社以外は不明となっていて、19世紀以降、地元の国学者らの論考によって式内社を比定している。
当社は江戸時代は「白山権現宮」と称していたのを、文化年中、式内社の調査をした京都吉田家によって式内高田神社に比定され、境内に高田神社の社号石を建てたという。
創祠年代は不明、周囲には縄文時代中期の祭祀遺構の発見があり、また古墳時代の祭祀土器も多く出土していることから、神代に遡るとされる。
中世、飛騨国司姉小路氏は当神社を崇敬、当神社境内に隣接して城館を建て、飛騨国統治の拠点とした。
参道入口の一の鳥居

県道75号線沿いなのですぐにわかる。
境内入口の二の鳥居

石垣上の玉垣に囲まれた境内入口。駐車スペースもこの付近にある。
二の鳥居と参道

両側が畑で農道を歩いている感じ。
境内参道と拝殿

拝殿

シートが掛けられていた。
本殿(覆屋)

境内社

雉の碑

祭神の高魂命の使いだという。
姉小路氏顕彰碑

姉小路氏(飛騨国司家)の本拠地であった。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄り駅はJR高山本線杉崎駅、北東へ直線距離約800m。徒歩約15分
参拝者駐車場=なかったと思う、鳥居前に若干のスぺース 駐車=バイク△、自動車△。
徒歩は最寄駅から少し遠い、バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝は約5分程度。
境内に社務所はなかったと思う。御朱印は要事前確認。
[作成日]2019年12月07日
[更新日]2019年12月07日
[参考]
・式内社調査報告 ・岐阜県神社庁ホームページ