2017年3月21日午前、雨の中の参拝。
かなり迷った末に港北区新吉田町の
杉山神社にたどり着き、参拝を終えたのが9:30頃。そのあと同じ町内にある当社へ向かったのだが、杉山神社を裏参道から境内を出たこともあってか、しばらく歩いているとまた自分がどこにいてどの方角に向かっているのか全く分からなくなってしまった。持参していた地図はプリンタでA4用紙に印刷したものだったので、雨に濡れて一部がみえにくくなり始めていた。
まず自分の現在地を把握しようと、人通りの多そうな方へ歩いていると信号のある交差点にたどり着いた。その付近で若雷神社のことを何人かに尋ねてみたが、知っている人がいない。高田駅に戻って一旦リセットかな、などと思いながら、とある事業所の方に尋ねてみたところ、「わからい」神社のことをよくご存知の方であった。いままで「わかいかづち」と尋ねていたので答えが返ってこなかったようだ。
しばらく教えてもらっていると、「送って行ってあげようか」とおっしゃって下さった。お仕事中でもあり、お気持ちだけありがたくと伝えたが、ご親切に甘えさせてもらった。ありがとうございました。
10:10頃に到着、境内前で車を降りる際、次に向かう新羽の杉山神社の行き方も教えて下さった。この時「新羽」を「にっぱ」と読むことも教わった。道に迷ってよかったと思うほどの出会いに感謝。
神奈川県横浜市港北区新吉田町に鎮座、横浜市営地下鉄ブルーライン新羽駅から北へ直線約1.5km。
三代実録に貞観6年(862)7月27日従五位上の神階奉授の記事がある「若雷神」の論社。延喜式神名帳には記載がなく、いわゆる式外社である。
清和天皇の御宇、山城国賀茂社の別雷神を勧請し創建された。従五位上の神階奉授の時期は清和天皇在位時と重なっているので、創建は神階奉授の時期と同じ、あるいはその少し前なのかもしれない。
寛政10年(1798)、往古以来の祠を再建、社殿を新しく造営したが、それに先立ち、山城国吉田社より春日四神を勧請したという。吉田の地名の起源とされている。
明治41年天照大神・大己貴尊・倉稲魂尊・市杵嶋姫・豊受姫尊・伊弉諾尊・大山咋尊を合祀した。
寛政10年に勧請した春日四神はいま境内社として祀られているものがそうだろうか。
境内の南の参道鳥居は南面、階段参道を登りきった境内の鳥居、社殿は西面して建つ。境内周囲は区画整理された丘の中腹の住宅地。境内社は伏見稲荷神社と春日神社。
境内

オープンな感じの境内。この日はしっかりとした雨の中、水たまりが出来ていた。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
横浜市営地下鉄ブルーライン新羽駅から徒歩約20分程。グリーンーライン高田駅からも徒歩圏内だが、そちらからの道はわかりにくい。新羽駅からをお勧めする。
参拝者駐車場=なし。駐車=バイク×自動車×。
横浜市営地下鉄線の駅から徒歩圏内。南側からのアプローチ推奨。
参拝時間は約10分ほど。
境内に社務所があるので、在宅なら受付可能と思われる。