松山市への長期出張中の休日の2016年10月31日、松山八社八幡の社や高縄半島西岸域の古社を巡拝した日。同じ境内の
國津彦命神社の次に参拝。
風早平野の立岩川左岸の小高い丘に鎮座。同じ境内に國津彦命神社と対面し、北側に國津彦命神社、南側に当社というかたち。住所の区分けは異なり、こちらは愛媛県松山市高田となっている。
文徳実録に仁寿4年(854)従五位下の神階奉授の記事があり、延喜式では伊豫國風早郡二座のうちの一社。
國津彦命神社が風早国造の物部阿佐利によって祖神饒速日命と風早の国魂神を祀って創建された際、当社は現在地より南の小山の上に、饒速日命の后神を祀って創建された。
ということで境内掲示板には
主祭神に天道日女命、相殿に御炊屋姫命とあり、ともに饒速日命の后神。
物部阿佐利は御炊屋姫命の子宇麻志麻治命から伊迦賀色許男の系譜なので、主祭神御炊屋姫命のほうが自然な感じがする。
『特選神名牒』は、天道日女命は風早国造に由縁なしとして、御炊屋姫命単独の祭神説を採っている。
天道日女命は尾張氏の祖、天香山命の母。
中古には祓座(はらいにいます)大明神と称していた。音の類似で祓入桝大明神とも。國津彦命神社の祓いを司っていたからともいわれる。
寛永年間(1624-1644)に現在地に遷され、享保年間(1716-1736)に今の社名に戻された。
秋の例祭は國津彦命神社と共に執り行われる。そのうち動座祭には当社の特殊神事「宵の明星」があり、当社の神輿一体だけが、神幸祭前夜の丑の刻、旧大庄屋家にお忍び渡御するというもの。これを怠ると、氏子の家中に病が流行すると伝わっている。
神幸祭は太鼓、半鐘を打ち鳴らしてはやすことから「風早の火事祭り」ともいわれ、宮入りの際には、参道の階段上から神輿が壊れてご神霊が飛び出るまで神輿を投げ落とす荒々しい祭事。
神輿を壊すのは毎年神輿を新調して、神威の高揚を祈るためと言われている。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線伊予北条駅から境内入口まで約2.3km。
駐車場=境内入口右側がそうかも、未確認。
駐車=バイク?、自動車?。
徒歩は若干距離あり、バイク、自動車は容易に到着できる。
一の鳥居、境内社を含めて参拝は約20分程度の見込み。
御朱印は、在宅ならば受け付けているようす、要確認。