小山田神社
おやまだじんじゃ
参拝日:2012年5月14日
2012年5月14日午後の参拝。この日の早朝に新門司港に着いて、
香春神社、
惣社八幡神社、
大富神社、
大根川神社、
稲積六神社、
乙咩神社、
和間神社、
田笛神社、
郡瀬神社、
泉神社、
鷹居神社からの巡拝。
国道10号線沿いの鷹居神社鳥居を後にしたのが14:00頃、雨は降ったりやんだり、合羽を着たまま行動しているためフットワークが少々悪い。
当社に向かうべく国道10号線を東進、県道661号線を南下する。事前に調べてプリントアウトした地図の縮尺が小さくて迷ってしまい、なかなか着くことが出来なかった。
地図につけた印を中心にぐるぐる走り、バイクから降りて歩いて探してもゴルフの打ちっ放しにたどりついてしまい断念。そうしている内に県道661号線の東側の比較的大きめの道から西に延びる道を見つけ、社号標など無かったので、とりあえず行ってみると社殿が見つかった。探索してみると拝殿に小山田神社の社殿建築に関わる棟札を見つけたので、確信を持って参拝した。持参した地図には小山田神社が二つあったのだが、西側のものには行っていない。というより見つけられなかったのだが・・・。当社表参道の鳥居に14:30頃到着。
大分県宇佐市小向野に鎮座。宇佐神宮行幸会八社の一社。応神八幡が鷹居社に初めて祀られ、小椋山(いまの宇佐神宮)に遷るまでの間、鎮座していた。
応神八幡神が小山田社に鎮座した時期として、『承和縁起』には天智天皇御宇(662-671)とあり、辛嶋波豆米が奉斎していた。また『八幡宇佐宮御託宣集』には霊亀2年(716)の創建とあり、若干の幅がある。
養老4年(720)日向大隅に起きた隼人の反乱では、宇佐は朝廷側の拠点で、小山田社から隼人征伐の軍勢が出発したという。
参拝後裏参道から戻ると、道の東側に北を向いて「小山田神社→」という看板を見つけた。周囲を時計の反対回りにぐるぐるしていたのでその看板に気づかなかったのだ。トホホ。
階段参道と一の鳥居

小向野の集落から来るとたどりつく。こちらが表参道のようである。画像左にある碑には享保15年(1730)銘。
二の鳥居

境内手前の鳥居。扁額には「貴布祢」とあった。北宇佐か小向野に貴布祢社があって、それを合祀した時に移したものと思われる。
拝殿

草に覆われた境内はしごくあっさりとしている。定期的に草刈りしているようす。
本殿

三棟並ぶ。中央が八幡大神、左右が配祠の
高龗神、闇龗神であろうか。
小石祠の境内社

交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄り駅はJR日豊本線宇佐駅、直線距離で約5km。徒歩では少し困難。
参拝者駐車場=なし。 駐車=バイク△、自動車×。
バイク、自動車は容易に到着できる。
参道鳥居を含めると参拝は約5分程度。
境内に社務所はない。御朱印はないと思われる。
[作成日]2019年10月25日
[更新日]2019年10月25日
[参考]
・境内由緒書 ・八幡信仰史の研究