大神神社
おおみわじんじゃ
参拝日:2011年5月25日

大神神社をメインに周辺の神社を巡拝しようと出かけた好天の春の日。大神神社へは何回か参拝しているが、まだ御朱印を賜ったことがなかったため、再訪するにあたり三輪山登拝を兼ねていってみようとか、山の辺の道を一日かけて歩いてみようとかいろいろ考えていたため、つい行きそびれていたのだが、結局バイクで大神神社近隣を一日かけて回るという訪問。2011年5月25日の参拝。
奈良盆地の中央部東端、標高467mの秀麗な三輪山の西麓を境内域として、本殿を持たず山そのものを神体山として仰ぎ祀るという原始信仰形態を今に引き継ぐ我が国屈指の古社。
拝殿の奥、三輪山との境には明神鳥居を三つ組み合わせた形の三ツ鳥居があり、この特殊な形は古来「一社の神秘」とされてきた。三ツ鳥居の先は禁足地として普段は神職さえ立ち入らない神聖な場所。禁足地の山中には巨石群や磐座など祭祀遺跡が点在し、山頂には摂社高宮社がある。
祭神は大物主神で配祠神として大己貴神・少彦名神を祀る。記紀に大物主神、大己貴神との関係について記述がある。
『古事記』では共に国土開発にあたっていた大己貴神、少彦名神であったが、少彦名神が常世国に旅立ってしまう。それを悲しんでいた大己貴神に海の彼方から「私を祀れば国土開発に協力しよう」と現れた神があり、大己貴神が「どのように祀ればよいのか」と聞くと「倭の青垣の東の山に祀るよう」と望み、祀られたのが御諸山(三輪山)の神であると記されている。
『日本書紀』では大己貴神の前に現れた神が、「私は大己貴神の幸魂・奇魂である。日本国(やまとのくに)の三諸山に祀られたい」と伝えたと記されている。
三輪山に自ら鎮まった神が大物主神であることは『古事記』では神武天皇段、『日本書紀』では崇神天皇8年に初めて見える。
また『日本書紀』には崇神天皇御宇、国内に疫病が流行り、民が多く死亡したため、崇神天皇が占いをしたところ、倭迹迹日百襲姫命に神がかりし、わたしを敬えば疫病は鎮まるといった神がいた。また崇神天皇や臣下の夢に「我が子大田田根子にわたしを祀らせたら、たちまちに平らぐだろう」と告げた。天皇は捜索を命じ、大田田根子は茅渟県陶邑で発見され、父親は大物主神、母親は陶津耳の娘の活玉依媛と答えたので、大田田根子を大物主神の祭主としたところ、疫病は収まって国内も鎮まり、五穀豊穣となったという。
その他大物主神にまつわる神話が記紀にはあり、箸墓の伝説はその代表的なもの。
六国史における神階奉授の記事は文徳実録の嘉祥3年(850)正三位の授与に始まり、その9年後の貞観元年(859)、最高位の正一位(勲二等)に累進している。延喜式では名神大社で月次相嘗新嘗の幣帛に預かり、平安時代中期以降に成立した二十二社の一社(中七社の一位)に列せられ、さらに大和国一宮でもあった。
中世に至り、若干の衰微が表れたものの庶民の篤い信仰に支えられていた。江戸時代には朱印領60石を安堵。明治4年に官幣大社に列せられた。
大鳥居

国道169号線沿いに立つ大鳥居。でかい。背後には三輪山。
境内参道入口の鳥居

大鳥居から約700m。
鳥居の扁額

「三輪明神」とある。
境内参道

二の鳥居からの参道。一歩毎に身が締まる、そんな感じ。
参道の夫婦岩

拝殿への階段参道

これを上がると拝殿。
拝殿

拝殿の向こうが三輪山。拝殿と三輪山を区切る場所に有名な三ツ鳥居。申し込めば拝観可能であるが、物怖じしてできなかった(笑。いつか見てみたいと思う。
拝殿

衣掛杉

謡曲「三輪」で僧玄賓の衣が懸けられたという神木の杉。
巳の神杉

大物主大神の化身の白蛇が棲んでいる。年に何度かは目にすることもあるそうで、その時には人だかりが出来、皆白蛇を拝むという。
巳の神杉と拝殿

祈祷殿

拝殿の北側にある。
くすり道

祈祷殿の北側にある摂社狭井神社への参道。
大神神社には多くの境内社、境外社がある。わかる範囲で回ってみた。参拝した順に掲載してみる。
綱越神社

大鳥居南側にある。摂社で延喜式内社綱越神社。祭神は祓戸大神。
綱越神社

夏越の社、あるいはおんぱら社とも呼ばれる。社名の綱越は夏越からの転訛であるという。
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祓戸神社

参道の奥まった場所に鎮座。末社。
祓戸神社

祓戸神社の社殿。祭神は祓戸四神。綱越神社に続いてここでも身と心を祓い清める。
成願稲荷神社

拝殿のある境内から南へ伸びる道沿いにある。末社。
成願稲荷神社

祭神は保食神・宇迦御魂神・大宮売命、(配祀)市杵島姫神・息長足姫命
天皇社

拝殿のある境内から南へ伸びる道沿いに鳥居と階段がある。末社。
天皇社

祭神は御真木入日子印恵命(崇神天皇)
神宝神社

拝殿のある境内から南へ伸びる道沿い、天皇社の階段の北側にある。末社。
神宝神社

祭神は家都御子神・熊野夫須美神・御子速玉神。熊野三山の社と同じ。
活日神社

祈祷殿の裏側、くすり道の最初の分岐を右に曲がる。摂社。
活日神社

祭神は高橋活日命。日本で唯一、杜氏の祖神を祀る。別名一夜酒社。
磐座神社

くすり道沿いにある。摂社。
磐座神社

祭神は少彦名神。露岩を御神体とする。
狭井神社

くすり道を進んでいくと狭井神社の鳥居がある。摂社。延喜式内社狭井坐大神荒魂神社。
狭井神社

拝殿。祭神は大神荒魂神、(配祀)大物主命・媛蹈鞴五十鈴姫命・勢夜陀多良比売命・事代主神。三輪山への登拝口がここにある。
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このあとまだ参拝していない本社周辺の神社に向かう。
久延彦神社

表参道のひとつ北側の山の辺の道沿いに参道入口。末社。
久延彦神社

拝殿。祭神は久延毘古命。「古事記」に世の中の全てを知っている神とある。絵馬がふくろうで珍しい。
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大直禰子神社

久延彦神社の参道入口から西にある。摂社。鳥居扁額には「若宮社」。
大直禰子神社

社殿。祭神は大直禰子命、(配祀)少彦名命・活玉依姫命
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神坐日向神社

拝殿のある境内から南へ伸びる道沿い、成願稲荷神社を過ぎると神坐日向神社への道がある。摂社。延喜式内社神坐日向神社。三輪山山頂の高宮社が式内神坐日向神社との説もある。
神坐日向神社

社殿。祭神は櫛御方命・飯肩巣見命・建甕槌命
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大行事社

神坐日向神社から南へ進み、平等寺の東側にある。末社。
大行事社

社殿。祭神は事代主神・加屋奈流美神・八尋鰐。JR三輪駅の西側にある三輪坐恵比寿神社の元宮。
このあと周囲の神社を巡りながら境外摂社の檜原神社に向かう。
檜原神社

徒歩であれば三輪山西麓の山の辺の道を歩いていくと到着する。境外摂社。延喜式内社卷向坐若御魂神社の説がある。
檜原神社

参道。清浄な砂利の参道は身の引き締まる思い、かつ心地よい。
檜原神社

社殿はなく、三ツ鳥居があるのみ。祭神は天照大神若御魂神・伊弉諾尊・伊弉册尊
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豊鍬入姫宮

境外末社。祭神は豊鍬入姫命。豊鍬入姫命は崇神天皇御宇、皇居内「同床共殿」に祀られていた天照皇大神の御神霊を倭笠縫邑に遷し祀られた。
上記の他、境外摂社が奈良市子守町に率川神社(2012年11月30日参拝)、桜井市慈恩寺に玉列神社(2011年11月5日参拝)が鎮座している。
率川神社

奈良市子守町に鎮座。境外摂社。延喜式内社率川坐大神神御子神社。
率川神社

春日造の社殿が三棟立ち並ぶ。祭神は姫蹈鞴五十鈴姫命(御子神)・玉櫛姫命(御母神)・狹井大神(御父神)
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玉列神社

桜井市慈恩寺に鎮座。境外摂社。延喜式内社玉列神社。
玉列神社

拝殿。祭神は玉列王子神、(配祀)天照大御神・春日大御神
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交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR桜井線三輪駅下車すぐ。
参拝者駐車場=複数箇所あり、かなり広い 駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
参拝は近隣の境外摂社、末社を含め3時間(徒歩とバイク)。1日かけるつもりでゆっくり歩いて巡るとよいと思う。
御朱印は常時受付している。
[作成日]2019年12月10日
[更新日]2019年12月10日
[参考]
・式内社調査報告 ・古代諸国神社神階制の研究 ・公式ホームページ ・神社紀行 ・神社辞典