2017年4月17日午前の参拝。この日は、調神社、氷川神社、上木崎の足立神社のあとの巡拝。足は「さいたま市コミュニティサイクル」。前日に東京での仕事が終わり、この日は関西に帰る移動日。時間は決めていなかったが、午後から天候がくずれる予報を頭に入れながら足立郡の式内社プラスアルファといった感じでの行動。
上木崎の足立神社の参道を南に戻り、県道1号線を西方向へ、木崎の交差点で1号線は道幅が狭くなり、第二産業道路との交差点あたりで若干道がわからなくなったが、総合教育センター入口交差点をランドマークにして位置関係がわかるようになり、三室から宮本への道(氷川女體神社の北側にたどり着く)を進む。この道はアップダウンのある道路で、標高が低くなっている場所はかつての沼底だったのだろうと思いながら自転車をこいでいた。上木崎の足立神社から30分後、10:20頃に到着。
埼玉県さいたま市緑区宮本に鎮座。荒川支流芝川右岸から西へ約700m、JR武蔵野線東浦和駅の北約3km。鉄道ではちょっと行きにくい場所だが、浦和駅や東浦和駅からバスが出ている。
先述した通り当社へは西側からアプローチした。道路には起伏があり、低い地点はかつて水が蓄えられていた場所なのだろう。当社はその中でも高台の地にあり、かつての「神沼」見沼のほとりに立地する。
社伝では崇神天皇の時代に創建、出雲の杵築大社と同体とある。
当社とさいたま市大宮区高鼻の氷川神社、さいたま市見沼区中川の中山神社は当社から東南方向の直線上に定間隔で鎮座し、三社をもって一社であったともいう。
祭神は奇稲田姫命で、大己貴命・三穂津姫命を配祠。
見沼の崇敬は、現在も「祇園磐船龍神祭」という祭祀が継続している。かつては「御船祭」といい、見沼に坐す女神にたいして隔年で執り行われていたが、享保年間に見沼干拓によって沼での祭祀が不可能になったので、水田の中に小山を築き、その周囲に池を掘って見沼に見立てて祭祀を行うようになった。この祭祀遺跡は境内入口から逆方向に進んだ見沼氷川公園にあるが、リサーチ不足で行けていない(ザンネン)。
吉田東伍『大日本地名辞書』は、足立郡の式内社、多氣比賣神社の論社としている。
境内社は社殿の北東側に見沼の龍伝説に因んだ龍神を祀る龍神社の他、規模の小さな境内社を六つ確認したが、これら六社の社名などは表札がなく未確認。
道標

「武蔵国一宮女體宮道」とある。弘化2年(1845)に建立。元はいまの緑区大間木の赤山街道沿いにあったもの。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
JR武蔵野線東浦和駅と埼玉高速鉄道浦和美園駅からそれぞれ約3km前後ある。浦和駅か東浦和駅からはバスの便がある。
季節がよければさいたま市コミュニティサイクルを利用してもよい。サイクルポートもたくさんあるのでお勧め。ただしSuicaやPasmoが必要。持っていなければ駅の券売機でも購入できる。
参拝者駐車場=なかったと思う。駐車=バイク×自動車×。
徒歩旅だと駅から少し遠い。バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝時間は約20分ほど。