八百万のかみのやしろ巡り

和霊神社

われいじんじゃ

参拝日:2016年11月8日

和霊神社和霊神社御朱印  
所在地:

愛媛県宇和島市和霊町1451 [地図]

御祭神:

山家清兵衛公頼

(配祀)山家治郎(清兵衛次男)・山家丹治(清兵衛三男)・山家美濃(清兵衛四男)・塩谷内匠(家従)・塩谷帯刀(内匠長男)・塩谷勘太郎(内匠次男)

公式頁:

https://wareijinja.fc2.net/

社格等:

明治6年郷社

大正8年県社

別表神社

 
 松山市出張中の休日を利用して、西予市、宇和島市の神社を巡拝した日。
 西予市の宇和津彦神社を後にし、次のバスまではかなり時間があったので、卯之町まで歩くことにした。国道56号線を南下して卯之町へ、バス停の卯之町営業所を確認してから、卯之町の街並みをちょっと散策、ここに末光家住宅があり、先ほどの宇和津彦神社が末光家と関わりがあることを後から知り、しっかり見ておくんだったと少し後悔。

 卯之町からバスで宇和島駅へ、裏目的の鯛めしランチは宇和島で目星をつけていたかどやさんで頂いた。宇和島の鯛めしはこの日が初めて、とても美味くて大満足。個人的には宇和島の鯛めしが好み。松山の鯛めしは家庭料理、宇和島の鯛めしは漁師めしといった感じ。
 その後、宇和島駅の北側にある参道入口の和霊公園前に12:00頃到着。

 愛媛県宇和島市和霊町に鎮座。鳥居からの参道周囲は和霊公園として整備され、SLが保存されているのが印象的。未明の雨跡が境内に残っていて、清められた社を独り占めしていた感を覚えている。感謝。

 江戸時代初頭の宇和島藩伊達氏の家老、山家清兵衛公頼を祀る社。
 山家清兵衛は、伊達政宗の長子秀宗が宇和島に封じられた際、仙台から秀宗に従って藩の家老となり内政に功績があった人。
 立藩直後の藩政の混乱の中、主に財政難に対する政策で藩内対立があり、元和6年反対派の襲撃により暗殺された。
 秀宗の命による上意討ちだったという説も。反対派から秀宗への讒言、秀宗と清兵衛の不和があったともいう。
 その後、暗殺に関与した者の事故死や病死が相次ぎ、秀宗も病いを得、三人の男子は病死、更に自然災害も続いたことから、清兵衛の怨霊と恐れられた。
 そこで寛永8(1631)年、民衆によって森安という地の八面大荒神(いまの森安橋あたりか?)の社隅に清兵衛慰霊の兒玉明神が建立され、承応2年(1653)には藩によって檜皮森に山頼和霊神社が建立された。その後3回目の遷座の享保20年(1735)に今の地に鎮座した。
 創建以来民衆の信仰は篤く、霊験あらたかな神として信仰圏は四国に広がった。土地柄漁民の参拝者が多く、時代が下るにつれ漁業神としての性格が色濃くなり、幕末以降はさらに中国、九州へも広がり、各地に和霊社が勧請された。

 宇和島の市街地の北側を流れる須賀川の両岸に境内域がある。和霊公園の鳥居を進み、参道を橋で渡ると神門、その先に社殿への階段参道があり、ここまでは南東向き。社殿のある境内で参道は向きを変え、社殿は若干西寄りの南向き。
和霊公園の一の鳥居
 
鳥居と社号標
二の鳥居
石造りでは日本一の大きさという。
 
二の鳥居の社号扁額
須賀川にかかる太鼓橋
御幸橋と名づけられている。
 
神門
神門の社号扁額
家紋が三つある。上は山家家の正式な家紋「向沢潟」、左は伊達家、右は山家家が宇和島入りして用いた家紋。
 
社殿への階段参道
 
社殿のある境内
拝殿
 
拝殿
本殿
 
奉納の牛鬼
夏の和霊大祭の際、牛鬼が市内を練り歩く。
境内社が神門を入って右側の区画に神馬社、御井神社、山本神社、三島神社、竈神社、拝殿の左側に若宮神社がある。竈神社は『愛媛県史』に「宝暦10年の調査によれば八面荒神が和霊神社の下村末社として記述され」とあり、社名からみて清兵衛が最初に祀られた時の地主神、八面大荒神の祭祀を引き継いでいると思われる。
神馬社
健脚のご利益がある。
 
御井神社
祭神は御井神
山本神社
祭神は大物主命
 
三島神社
祭神は大山祇命
竈神社
祭神は奥津彦命・奥津姫命・火産霊神
 
若宮神社
祭神は豊玉姫命
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予土線宇和島駅から約650m。
駐車場=あり。
駐車=バイク〇、自動車〇。
駅から近く徒歩圏内、駐車場もあってバイク、自動車も参拝しやすい。
参拝は境内社含めて30分程度の見込み。
御朱印の受付は常時行っている。
[作成日]2025年09月08日
[更新日]2025年09月08日
[参考]・和霊神社公式HP ・愛媛県神社庁HP ・週刊日本の神社 ・愛媛県史
©2018- 2026 日仮名湯栗(Higana Yukuri) All Rights Reserved. 当サイトの画像、テキストの無断転載を禁止します。