八百万のかみのやしろ巡り

阿沼美神社

あぬみじんじゃ

参拝日:2016年10月31日

阿沼美神社  
所在地:

愛媛県松山市平田町983番地 [地図]

御祭神:

大山積神・雷神・高龗神、月読命

公式頁:

社格等:

延喜式内社 伊豫國温泉郡 阿治美神社 名神大

明治4年郷社

 
 松山市への長期出張中、出勤前の時間に松山八社八幡を参拝する計画を立て、2016年10月29日に日尾八幡神社、2016年10月29日に桑原八幡神社を参拝、翌日のこの日は高縄半島西岸域の古社を巡拝。

 還熊八幡神社から国道196号線をさらに北上し、松山北条バイパスと旧国道が分岐する地が平田町。バイパス北側の集落に入って行くと、参道入口に大きな石の社号標と鳥居がある。8:20頃に到着。鳥居から約160m先に境内入口。

 愛媛県松山市平田町の集落端の小高い山裾に鎮座。延喜式に記載されている伊豫國温泉郡四座のうちの一社阿治美神社の論社。

 創建年代は不詳。
 伝承に当地は御村別の祖、武国凝別皇子や十城別王が居住したとされ、社伝には御村別の後裔が創祀したとある。
 中世に河野氏が三島の神々を合祀して神領を寄進、一説に阿沼美三島大明神と称していたともいう。
 中世後期に河野通直が社殿を造立した時に、一族の大内氏に祭祀を委ねて、爾来大内氏が当社宮司を勤めている。近世前半期には三島新宮と称していた。

 祭神は大山積神、雷神、高龗神の三島大明神の神々と月読命。月読命の由来は不詳だが、近隣社の合祀かも?。

 式内社主張の嚆矢は天明2年(1782)、本殿から阿沼美三島新宮大明神と記された文禄年間の棟札が発見された時と思われる。次いで天保4年(1833)、社前の橋を修繕した時に延文5年(1360)銘のある阿沼美宮と刻まれた石額が見つかり、以降に阿沼美神社を称するようになった。

 よって式内社阿治美神社の論社だが、所在郡が異なるため(当社は和気郡)、有力な比定社になり得ていない。当社を比定するのは『神社覈録』。また『明治神社誌料』は味酒町の阿沼美神社は否定し、当社について所在郡の問題はありながら、若干肩入れしているニュアンスが感じられる。
参道入口
立派な社号標とその先に鳥居。
 
参道の鳥居
鳥居の扁額
 
参道
境内入口の注連縄柱
 
二の鳥居
拝殿
階段参道を登るとすぐにある。境内社は画像左のこの位置。
 
拝殿
拝殿内陣
 
本殿
 境内社は社殿の左側に二宇ある。どちらも三区画され三社祀られている。境内の手前側は貴布祢神社(闇龗神)、十六皇子神社(天神地祇十六柱神)、神殿神社(素戔嗚尊)。境内の奥側は阿奈波大明神(石長姫命か?)、稲荷神社(宇賀御魂神)、多賀大神宮。
貴布祢神社、他二社
明治3年松山藩の命により当社へ奉遷、明治13年県令の通達を受けて旧地へ奉遷、明治末期、政府の政策により再び当社へ奉遷。
 
力石
脇にある力石。
阿奈波大明神、他二社
 
奉納された陽根の木像
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線伊予和気駅から境内入口まで約2km。
駐車場=あり。
駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩は若干距離あり、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
境内社を含めて参拝は約15分程度の見込み。
御朱印は、在宅ならば受け付けているようす、要確認。
[作成日]2025年05月15日
[更新日]2025年05月15日
[参考] ・境内由緒書 ・式内社調査報告 ・明治神社誌料 ・愛媛県神社庁HP
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