2016年9月下旬から松山出張中で、休日がとれた2016年10月24日の参拝。
この日は今治市内を四国霊場札所を交えながら巡拝した。宿のある松山市街地から向かっているので、当社の前に、
天一神社、
大野神社、
大須伎神社、
伊加奈志神社に参拝、その後蒼社川に沿って河口方向に進み、参道入口前に12:15頃に到着。
蒼社川右岸の今治市八町西に鎮座、河口まで約3kmの地点。八町という地名にも表れているように、越智平野の条里制遺構が残っている地域。
創建年代は不詳。
三代実録に楠本神と記載のある古社で、貞観17年(875)4月5日従五位上の神階奉授の記事があり、延喜式では
伊豫國越智郡七座の一社。
中世以前に神宮寺も備わっていたらしく、長保2年(1000)に勧学会が行われている。
その後建長7年(1255)の『伊豫国神社佛閣等免田注進記』に免田の認可と金剛般若田が与えられた記録があり、同書にはいま境内社となっている柑子社の免田認可の記録もある。
中世までは一定の規模を持っていたと見られているが、近世には衰退していたようで、『今治領寺社明細言上書』(貞享2年(1685))には牛頭天王と記され、いま境内社になっている柑子女宮大明神の末社の地位にあり、今とは逆の立場にあった。
祭神は素盞鳴命で、江戸期から変わりはない。
また木神とする説もあり(『神名帳考證』、『伊豫二名集』)、社名から導いたものと思われるが、具体的な神名は示されていない。あえて想像すれば屋船久々遅命、あるいは現祭神と関係の深い五十猛命、大屋都比売命、都麻津比売命だろうか・・。
ところで、江戸期に式内の社名の読みは「まきもと」とされていたが、江戸時代後期に伴信友が示した、三代実録にある楠本神への神階奉授記事を根拠にした「くすもと」が浸透して今に至っている。
柑子女神社社号標

明治41年に合祀された。「元字八ツ目鎮座」とある。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線今治駅からで約2.7km。
駐車場=社前に軽自動車1台分とバイク1台分ほどのスペースあり。
駐車=バイク△、自動車△。
徒歩のみは少し時間がかかる、バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝は約5分程度の見込み。
御朱印=境内に社務所なし。