八百万のかみのやしろ巡り

伊豫豆比古命神社

いよずひこのみことじんじゃ

参拝日:2016年10月4日

伊豫豆比古命神社伊豫豆比古命神社御朱印  
所在地:

愛媛県松山市居相2-2-1 [地図]

御祭神:

伊豫豆比古命・伊豫豆比売命・伊與主命・愛比売命

公式頁:

https://tubaki.or.jp/

社格等:

天平神護2年(766)4月20日 伊豫神 従五位下 神戸二烟。久米郡 続日本紀

貞観4年(862)9月18日 伊豫村神 従四位下 三代実録

貞観8年(866)3月7日 伊豫村神 正四位下 三代実録

貞観12年(870)8月28日 伊豫村神 正四位上 三代実録

延喜式内社 伊豫國伊豫郡 伊豫豆比古命神社

延喜式内社 伊豫國伊豫郡 伊豫神社 名神大

県社(列格年不詳)

別表神社

 
 2016年9月下旬から松山出張で、最初の休日の2016年10月4日松山市近郊の神社を巡拝しようと計画した。松山市、東温市と回った後、伊予市に入り、伊曽能神社高忍日売神社、伊予市の伊豫神社、松前町の伊豫神社と巡拝し、本日最後の参拝。

 松前町の伊豫神社を後にし、県道16号線を北上、重信川を渡り、椿神社西入口交差点を東に約1km進むと境内の入口。鳥居と楼門の前に15:50頃到着。鳥居前の道が蛇行しているのが印象的。

 愛媛県松山市居相に鎮座。
 境内は東西を走る県道190号線沿いにあり、社殿を東に向けている。東側の国道33号線沿いには大きな社号標と、国道から300mほどの場所に朱の大鳥居が立ち、西側の県道16号線沿いにも大鳥居が立っている。周辺は住宅地で、商業施設が点在する地域。

 通称 椿神社と呼ばれる。旧正月7,8,9日の3日間にある椿まつりは、全国から多くの参拝者が訪れる盛大なお祭り。

 創建年代は不詳、一説に孝霊天皇御宇、祭神を乗せた船がこの地に到着して、潮鳴栲綱翁神が出迎えたことが創祀と伝わる。
 また一説に大化元年(645)に社殿を造営とも伝わる。

 創建の地について、流れ宮の伝承がある。元々は久米郡梅本村小野谷に鎮座していたが、洪水により縦淵(いまの松山市久米窪田町の龍神社あたり)に漂着した後、久米八幡宮いまの日尾八幡神社に鎮座していたという。

 延喜式の伊予國伊豫郡伊豫豆比古命神社の論社。また伊豫神社の論社でもある。
 伊豫豆比古命神社と伊豫神社の論社はちょっとややこしいが、発端は続日本紀の伊豫神の神階奉授記事が久米郡との記載から。延喜式に久米郡所在の官社がないので、郡界の変動や郡名の誤記などの説によって、それぞれの比定が試みられてきた。

 祭神も諸説あり、伊予國の開拓祖神、初代久味国造、久米氏の祖神大久米命など。概ね久米氏に関わりのある説が多い。
境内入口の鳥居
県道190号線沿いに立つ。
 
楼門
宝暦6年(1756)の造営。
境内参道

 
拝殿への階段

拝殿
 
拝殿の社号扁額

拝殿内陣
天井絵に椿。
本殿を囲む回廊があるが、この日は閉まっていて入れなかった。後日、今回の出張中に再訪して、本殿など撮影させてもらったのだが、画像がどうしても見つからない。誤って削除したのかな。流れ宮伝承の久米の龍神社にも行きたいし、またいつか再訪したいと思っている。
 境内社が境内参道の北側に児守神社、勝軍八幡神社、境内参道の南側に御蔵神社、拝殿手前階段脇に奏者社がある。『明治神社誌料』にも同じ四社の記述があり、明治期以来境内社に変わりはないようだ。
児守神社
(祭神)木花開耶姫命・天之水分命
 
勝軍八幡神社
(祭神)誉田別命・天照大日霊命
御蔵神社
(祭神)宇迦之御霊神、居相の里神とされている。
 
奏者社
(祭神)潮鳴栲綱翁神
東西参道大鳥居など、境外の施設をいくつか。
東参道の社号標
 
東参道の鳥居
国道沿いの社号標から約330m。
西参道の鳥居
 
御旅所
境内入口付近にある。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄駅はJR予讃線市坪駅で約2km。伊予鉄郊外電車のいよ立花駅も利用可能。バス路線も近くまである。
駐車場=あり。
駐車=バイク〇、自動車〇。
最寄駅から少し距離あり。バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝は境内社、東西鳥居を含めて約90分程度(徒歩)の見込み。
御朱印は随時受け付けている。
[作成日]2025年02月27日
[更新日]2025年02月27日
[参考] ・境内由緒書 ・式内社調査報告 ・日本の神々 ・明治神社誌料 ・週刊日本の神社
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