八百万のかみのやしろ巡り

伊加奈志神社

いかなしじんじゃ

参拝日:2016年10月24日

伊加奈志神社
所在地:

愛媛県今治市五十嵐634 [地図]

御祭神:

五柱命・五十日足彦命・伊迦賀色許男命

公式頁:

社格等:

延喜式内社 伊豫國越智郡 伊加奈志神社

伊豫国総社

明治4年村社

 
 2016年9月下旬から松山出張中で、休日がとれた2016年10月24日の参拝。
 この日は今治市内を四国霊場札所を交えながら巡拝した。宿のある松山市街地から向かっているので、当社の前に、天一神社大野神社大須伎神社に参拝、その後蒼社川を渡り対岸の伊加奈志神社に向かった。八幡饅頭の武田屋さん(美味しい^^)に立ち寄ってから参道入口前に11:20頃に到着。

 蒼社川右岸の今治市五十嵐地区の八幡山と呼ばれる丘陵の北端に鎮座。同じ丘陵上に中世以降発展した石清水八幡神社や四国霊場栄福寺がある。
 鎮座地の五十嵐は「いがらし」ではなく、社名と同じ「いかなし」と読む。いかなしの語源はアイヌ語で見晴らしの良い場所という意味のインカラウシュからの転訛説がある。

 北向きの境内入口は玉垣が施され、間口は広くない。入口を入ると社号標があり、鳥居から先は細い急階段になる。上りきると拝殿が目に入り、背後に本殿とその左側に境内社がある。境内域は良い例えではないが、京町屋のうなぎの寝床タイプ。

 創建年代は不詳。延喜式神名帳に記載のある伊豫國越智郡七座のうちの一社。
 また蒼社川流域にはその名から伊豫國総社が存在していたと推測されていて、当社は伊豫國総社との伝承がある。

 文献による伊豫國の総社の初見は、建長7年(1255)の『伊豫国神社佛閣等免田注進記』にある「惣社宮」に最勝講経供料田が認められた記録。そして同書に伊加奈志神社の記載が無いことから、伊加奈志神社が惣社宮であった可能性が高いとする説がある。

 ただ以降の文献記録には、貞治5年(1366)に細川頼之が伊豫國府中八幡宮(いまの石清水八幡神社)、伊賀那志社、能寂寺(いまの浄寂寺)に対して掲げた禁制(『能寂寺文書』)があり、元亀2年(1571)の『伊豫國神名帳』には「正一位伊賀奈志大明神」とみえる。中世において総社の役割は小さくなり、式内の社号に回帰したとも思える。
 幕末期の文久4年(1864)の記録には「五十嵐村惣社大明神及七社神主高橋村居住高尾日向」とあって、再び惣社宮を称したが、明治元年に高尾日向が白川伯家に入門した時、所属を大須伎神社と伊加奈志神社としていて、社名の変遷が幾度とあったことが伺える。

 祭神は五柱命・五十日足彦命・伊迦賀色許男命。
 五柱命は、一般に別天津神か地神五代を表しているが、総社伝承を考えると、国内有力神の総称のような気もする。
 五十日足彦命は垂仁天皇皇子で越の国を開拓した神。一説に社名との類似からの付会であるとも。
 伊迦賀色許男命は物部氏の祖で饒速日命の六世孫。宇摩志麻遅命以降の系譜で伊迦賀色許男命から多く分枝している。
 こちらも社名との類似があるが、物部氏族が小千直や風早国造として当地方統治の歴史があり、伊迦賀色許男命一座を本来の祭神とする説がある(『神名帳考證』、『伊豫二名集』)。
境内入口
 
参道の狛犬
参道の鳥居
文政元年(1818)銘がある。
 
参道階段
境内
 
拝殿前の注連縄柱
拝殿
 
拝殿の社号扁額
本殿
 
境内社三社
左から山之神社、厳島神社、荒神社。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線今治駅から直線距離で約4km、今治駅からイオンモール行きのバスである程度は近づける。徒歩のみなら伊予富田駅のほうが近い。
駐車場=なし。
駐車=バイク×、自動車×。
徒歩のみは若干きびしい、バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝は旧社地含めて約10分程度の見込み。
御朱印=境内に社務所なし。
[作成日]2025年03月14日
[更新日]2025年03月14日
[参考] ・式内社調査報告 ・中世諸国一宮制の基礎的研究 ・日本の神々
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