宿の近くの神社が平将門に由縁のある神社だとわかり、調べてみると千代田区周辺に集中している。そこで朝の出勤前の時間に巡ることをはじめたのは2017年3月21日。今回はその第2弾の1番目。
宿から前回行った
筑土八幡神社と同じルートをたどり、早稲田通りを西に進もうと思っていたが、うっかりして大久保通りに行ってしまった。途中どこかで北に進んでルート修正し、西早稲田の交差点を北上すると境内入口の階段が左側にある。6:30頃に到着。2017年4月14日早朝の参拝。境内には長持ちした桜がまだ満開といっていい状態。
東京都新宿区西早稲田に鎮座。都電荒川線早稲田駅から西へ直線で約300m、北160mほどに神田川が流れている。都電荒川線早稲田駅と面影橋駅の間の南にある甘泉園の南西の地点。東側に早稲田大学のキャンパスがある学生街。
天慶4年(941)藤原秀郷が旧社地の富塚の上に稲荷大神を勧請し、富塚稲荷、将軍稲荷と称されていた。旧社地の富塚というのは現在の早稲田大学9号館附近で、早稲田大学の拡張の際に敷地を交換して現在地に遷座した。これに伴って冨塚古墳、高田富士と呼ばれた冨士塚も移設している。
元禄15年(1702)に境内の大椋に霊水が湧きだし、眼病に効能があったことから江戸市中の評判を呼び、さらに御神託に「我を信仰するものには火難を免れしむべし」とあって、以降「水稲荷」と称され、火防、水商売の人々の信仰を受けた。
天明8年(1788)京都御所の大火の時、防火に励んだ老翁があり、その老翁は「江戸の水稲荷」と名乗ったという。この功績により、関東稲荷惣領職を賜わったいう。
前述した敷地の交換は昭和38年のこと。現地は徳川御三卿の清水家の旧址で、境内社三島社は清水家の守護神である。
祭神は倉稲魂神と稲荷神社によく祀られている大宮姫神、佐田彦大神(猿田彦命)。
一説に藤原秀郷はこの地で将門調伏の祈祷を行ったという。烏森稲荷の創建はその社伝には「ある稲荷」での祈願成就のお礼であったが、ここも戦勝後に稲荷。藤原秀郷は将門討伐の成就について稲荷神の霊験を感じ、信仰していたのかも。
早稲田通りと新目白通りをつなぐ道路沿いに境内入口、左脇に社号標。参道は最初西方向に進み、鳥居で一旦北に蛇行して、拝殿前の階段からは再び西方向になる。
境内社に大国社、高木神社、事比羅神社、水神社と、三島神社、北野神社、浅間神社、稲荷社が複数社ある。
浅間神社は移転してきた富士塚の麓にあり、今回は富士塚とともに事前確認を怠り見逃してしまっている。ザンネン。
参道

入口の階段を上がって少し進んだところ。参道は西方向に進む。
境内入口の鳥居(東側)

参道を進んでこちらが最初にある。境内へ北に向きを変える。
拝殿

二重の唐向拝が特徴的。この年は桜が長く散らずにいた気がする。東京は長持ちなのかなとも思った。
冨塚古墳

早稲田大学9号館裏にあったものを移設。戸塚の町名のもとらしい。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
都電荒川線早稲田駅が最寄り徒歩約4分、東京メトロ東西線早稲田駅から徒歩約10分
参拝者駐車場=なし
駐車=バイク×、自動車×。
駅から近い。容易に到着できる。
参拝は境内社を含めて12分程度。