雄郡神社
ゆうぐんじんじゃ
参拝日:2016年10月31日
松山市への長期出張中の参拝。この日は休日で高縄半島西岸域の古社と
松山八社八幡の五社を自転車で巡拝。
日招八幡大神社から国道56号線を北上、県道326号線沿いの雄郡神社の鳥居前に14:40頃到着。
愛媛県松山市小栗に鎮座。『三代実録』記載の国史見在社とされ、松山八社八幡の四番社。
元は雄群村「おぐりむら」で当社も雄群神社であったが、明治35年に雄郡神社に改められた。「ゆうぐん」の読みが定着したのはこの時以降と思われる。いまは地名として、小栗、雄郡どちらも存在する。
社伝によると用明天皇元年(586)、宇佐の八幡神を勧請、元慶2年(878)には雄郡神に従五位下の神階を授けられた。
11世紀後半には正八幡宮と称していたという。
祭神は天宇受売命と八幡信仰の神々。八幡社としてよく知られているが、天宇受売命は『境内由緒書』に主祭神とある。鎮座年代は未詳で祭祀の由縁も不明だが、確認した他の文献(『愛媛県神社庁HP』『明治神社誌料』『週刊日本の神社』)に、いずれも筆頭にあげられていて、創祀の神で主祭神とされているようだ。
天宇受売命の祭礼は3月の福運祭があり、櫓から当たり籤付きの餅がまかれ天宇受売命の福を授かるというもので、主祭神として格別の祭祀が継続している。
『明治神社誌料』には上記祭神の他、天児屋根命、宇迦之御魂神、大国主神、建速須佐之男命、伊邪那岐命、伊邪那美神があるが、熊野社や春日社、稲荷社など近隣諸社の合祀の神だと思われる。
慶長5年(1600)いわゆる三津浜夜襲の一連の戦いの兵火で社殿は焼失したが、のち加藤嘉明が復興した。また松山城周囲の固めとした松山八社八幡を定めた際、当社は四番社となった。
江戸期には久松松平家の崇敬があり、
伊佐爾波神社、
阿沼美神社(味酒)と共に藩の三社と崇められた。
かつて境内は広大であったらしく、四方八丁にわたって社叢がひろがり西の端に大鳥居が立っていたそうだ。
境内入口

注連縄柱と社号標

神門

境内参道と拝殿

境内入口から拝殿までは一直線。
拝殿

左右に回廊の出入口がある。
本殿

回廊から本殿。
松山近辺には本殿の周囲に回廊を巡らせている神社が多い。参拝した神社では
伊佐爾波神社、
伊豫豆比古命神社、
高忍日売神社があった。
境内社が境内に入ってすぐの左側の区画に稲荷社、祇園社、三光社、拝殿の左側に弁天社(と思われる)、本殿の左側に藤逎社、回廊入口の右側に金砂神社、愛宕神社がある。
稲荷社

祇園社

三光社

大己貴神、少彦名神、事代主神。
弁天社

藤逎社

木之花咲耶姫命
金砂神社

金山彦命、菅原道真、和霊様(山家公頼)
愛宕神社

火産霊神
以下は余談。。
当社参拝を終えたのは15:00頃。この日は当社で打ち止め、松山八社八幡も無事巡拝を終えることができた。ここから宿までは近いのだが、帰途当社のすぐ北に銭湯を見つけ、即決で入った。天候がよくて予定通りに巡拝でき、更に疲れを癒す湯を思いがけず授かり、充足感を得られた1日だったのを思い出した。感謝。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
伊予鉄郡中線土橋駅から境内入口まで約700m。
駐車場=あり。
駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
参拝は約10分程度の見込み。
御朱印は在宅ならば受け付けているようす、要確認。
[作成日]2025年08月01日
[更新日]2025年08月01日
[参考]・境内由緒書 ・明治神社誌料 ・愛媛県神社庁HP ・週刊日本の神社