八百万のかみのやしろ巡り

浮嶋神社

うきしまじんじゃ

参拝日:2016年10月4日

浮嶋神社  
所在地:

愛媛県東温市牛渕584 [地図]

御祭神:

可美葦牙彦舅尊・大山積命・三神御面

公式頁:

社格等:

貞観9年(867)2月5日 浮嶋神 従五位下 三代実録

明治3年郷社

明治14年県社

 
 2016年9月下旬から松山出張で、最初の休日の2016年10月4日松山市近郊の神社を巡拝しようと計画した。湯神社伊佐爾波神社波賀部神社徳威三嶋宮の後の参拝。

 徳威三嶋宮から国道11号線を少し東に行き、県道209号線を南下、県道193号線との交差点で浮嶋神社の西参道鳥居が目に入る。12:00頃に到着。
 当社の参道は三方にあり、僕は西から来たので、西参道から参拝。社殿に到着後、北と南の二方に参道が伸びていたので、それぞれ歩いてみると、いまは北参道の利用が多いようす。

 愛媛県東温市牛渕に鎮座する国史現在社、浮嶋神の比定社。
 社伝によれば、浮嶋神は弥生時代から祭祀され、その社地は王座と呼ばれている。物部氏の祖、宇麻志麻治命の降誕の地といい、崇神天皇の頃に天津社に列せられたという。
 その後、伊予の豪族越智益躬によって大三島神を合祀して氏神と仰ぎ、以降越智氏の流れを汲む子孫や地元豪族の崇敬を受けてきたという。

 戦国期、兵火にかかり社殿や旧記を焼失したが、江戸時代初頭、松山藩加藤氏によって再興され、三島大明神と称えられた。

 明治2年(1869)に浮嶋神社と旧号に復した。

 祭神は可美葦牙彦舅尊、大山積命、三神御面。
 『明治神社誌料』には大山積命、雷神、高靇神、相殿三神御面。(古面三百なりとあるが、古面三面なりの誤りか?)

 可美葦牙彦舅尊は天地開闢において造化三神の次、4番目に現れた別天津神の一柱。記紀において、すぐに身を隠した以外に特に事績が示されることなく、以降の記載がない不思議な神。祀られている神社の数も多くない。

 大山積命は大三島からの勧請。

 三神御面は祈雨に霊験あらたかで、河野氏から伝わるもの。三神は高靇神のいる大三島の三神だろうか?河野道直が海上にて入手し、家臣によって保管されていたが、河野氏滅亡後に河之内村雨瀧宮に納められた後、神職が当社に奉納したという。
 面は田楽や猿楽の面とされ、鎌倉と室町時代に作成されたものと言われている。河野道直が関わった話しとは時期が少し合わない部分もありそうだが、中世河野氏伝来とすることには違和感はないと思う。平成16年に「雨乞い三面」として東温市の有形文化財に指定された。

 宇麻志麻治命の降誕の話しがあるが、祭神にその名はなく、過去にあったという資料も見当たらない。越智氏=物部氏族説からこのような話しがあるのかも。
南参道

社殿の配置からだとこちらが表参道。
 
北参道

いまはこちらが主な参道のようす。氏子域の変化、道路事情や産業変化によるものだろう。
北参道の鳥居の社号扁額

 
拝殿

拝殿内陣

 
拝殿内陣

幣殿

 
本殿

流造。
本殿

 
磐座

本殿前庭に3つある。中央に可美葦牙彦舅尊、左右に伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀ってきた。三神御面はこちらの三神かなとも思い始めた。
西参道

西からも参道がある。
 
西参道の注連縄柱

西参道が一番長い。
境内社が本殿の左側に二社、荒魂社と祖霊社・殉国英霊社。その他一社(所在地失念)あり、愛媛県神社庁HPによる長慶河野宮霊社に相当するのかも。その他関連施設がいくつかある。
荒魂社

 
祖霊社・殉国英霊社

長慶河野宮霊社か?

明治神社誌料に「牛淵霊社」とあるのがこれか?
 
長慶天皇御陵

愛媛県神社庁HPに境内社とされている。西参道入口付近にある。
土俵

西参道入口の鳥居の前にある。
 
社号標

西参道入口付近にある。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
伊予鉄横河原線の牛渕駅が最寄り駅で直線約700m。
駐車場=あり、境内東側の道から入場。
駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩、バイク、自動車に関わらず比較的容易に到着できる。
境内社を含めて参拝は約10分程度の見込み。
御朱印は未確認、要問合せ。
[作成日]2025年02月08日
[更新日]2025年02月08日
[参考] ・古代諸国神社神階制の研究 ・愛媛県神社庁HP ・明治神社誌料
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