2019年9月1日午後の参拝、良い天気だったのでふらっと出かけてみたが、日差しもあって結構暑かった。大阪メトロ谷町線長原駅から地上に出ると大きな幹線道路の中央環状線、頭上に高速道路が通っているが、当社へ向かうため西側の住宅地に入っていくと途端に静かになった。
大阪府大阪市平野区長吉長原に鎮座。長原駅の西側出口付近の交差点から約250mあたりの交差点に参道の大きな鳥居が立っていて、そこから北方向へ200m参道が伸びている。
創建年代は不詳。三代実録貞観元年(859)志紀長吉神に従五位上奉授の記事があり、延喜式では河内國志紀郡志紀長吉神社二座でともに大社、月次新嘗の幣帛に預かった古社。江戸時代は日蔭大明神と称し、牛頭天王を祀っていた。
主祭神の長江襲津彦命は武内宿禰の子、長江襲津彦命を祖とする山口朝臣・道守朝臣・的臣・布忍首・鹽屋連・小家連などの諸族が当地に居住していて、その祖神を祀ったとされる。住吉(すみのえ)の例もあり、長吉も元は「ながえ」と訓んでいたとも考えられる。
平城天皇の大嘗祭の際、当社の東六丁の宝田の地の日蔭蔓を奉り、大同4年(809)平城天皇より日蔭大明神の神号を授けられたという。当社の神紋は日蔭の蔓。いまでも日陰明神という呼び名は残っているようだ。宝田の地は志紀長吉神社末社跡として現存している。
『河内國式神私考』は祭神を天宇受売神・草野比売神としている。天の岩戸の説話で天宇受売神が神がかりした際、天香山の天日蔭をたすきにしていたことから。草野比売神は日蔭蔓の生育の神としてのことであるから。
祭神の別説は『神祇志料』の高御産霊命・拷幡千々媛命もあり、これは河内志貴縣主が奉斎する故という。
慶長20年(1615)大坂夏の陣の際、真田幸村は当社に戦勝を当社に祈願し、軍旗と刀を奉納したという。刀は戦後没収されたが、軍旗は社宝として保存されている。一の鳥居近くに、真田幸村休憩所の碑がある。
一の鳥居から、拝殿、本殿は全て南向き、社殿の西側に境内社の琴平社と稲荷社がある。
長原駅から東へ300mに長吉東部中央公園があり、その北端に志紀長吉神社末社跡がある。ここに生えていた日蔭蔓を平城天皇大嘗祭に奉納した。
大阪府大阪市平野区長吉長原東2-6 [地図]
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
大阪メトロ谷町線長原駅から北西へ約340m、徒歩約5分
参拝者駐車場=なし、駐車=バイク×自動車×。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
一の鳥居から真田幸村休憩所跡を含めて参拝は約20分程度。志紀長吉神社末社跡も含めるともう少しかかる。
御朱印は境内に社務所があり、常時受け付けているようす。