伊曽能神社
いそのじんじゃ
参拝日:2016年10月4日
2016年9月下旬から松山出張で、最初の休日の2016年10月4日松山市近郊の神社を巡拝しようと計画した。
湯神社、
伊佐爾波神社、
波賀部神社、
徳威三嶋宮、
浮嶋神社と巡拝、その後、若干の長距離移動での参拝。
浮嶋神社から南下して上村大橋で重信川を渡り、県道23号線に入る。ひたすらペダルを回して西進し、伊予市域に入るとそこが宮下地区。13:20頃、浮嶋神社から約50分後に到着。
参道は県道とV字に分岐する形で始まる。入口に注連縄柱と大きな岩の社号標があり、境内入口の注連縄柱まで約200mの気持ちの良い直線参道。途中に鮮やかな朱の両部鳥居がある。
創建年代は不詳。延喜式内社伊豫國伊豫郡四座のうちの一社。
一説に、神功皇后の三韓征伐の時、西海に向かっている途中にこの地に駐蹕、祭壇を設けて御神祭のあった霊跡と伝えられ、伊勢より天照大神を勧請し天児屋根命他三座の神々を合祀したという。
また一説には、持統天皇に呼び出された豊州国府長者が乗った船が遭難した時、当社から船に光が差し込み、難を逃れることが出来たので、社を建立したという。
社伝に延慶4年(1311)、社号を吹上大明神と称した。また寛文11年(1671)の再建の棟札には吹揚大明神宮とある。享保9年(1724)に社号を旧号に戻し、伊曾能神社となった。
創建当初の鎮座地は、上三谷村(現伊予市)平松であったが、応永年間(1394-1428)の頃、新三郎というものが、現社地に背負って遷座したと伝わっている。平松には旧社地跡の「一宮神社舊跡」碑がある。また当社にはこの新三郎を祀った新三郎神社がある。
祭神は
天照皇大神『愛媛県神社庁HP』
他には
天照皇大神・天兒屋根命・大玉命『明治神社誌料』
天照皇大神・猿田彦大神・天兒屋根命・伊鮮志神・大玉命『式内社調査報告』『伊予市史』
以下『式内社調査報告』による
大日孁尊『伊豫二十四社考』
大己貴命『神名帳考證』どちらのかは記載なし など
おおむね天照皇大神を主祭神とされている。
『特選神名牒』は西条市の伊曾乃神社の項に「垂仁記に五十鈴川の奥に天照皇大神を祀った祠を磯宮と呼んだことの附会であるとして、尚良く考えること」とあり、当社も同様であるとしている。
県道からの参道

南西からの県道とV字に分岐する参道。
社号標

注連縄柱をくぐるとすぐ。
参道の鳥居

鳥居の朱が映える。
参道の鳥居

県道からここまで約150m。
鳥居脇の石灯籠と社号標

石灯籠に嘉永5年銘、社号標に安政4年銘(おそらく)。
鳥居の社号扁額

「伊曽能神社」とある。
境内入口の注連縄柱
参道階段(一つ目)
参道階段(二つ目)
拝殿
拝殿
本殿

流造。
境内社が多い。参道途中に三社合殿(多賀神社・稲荷神社・宇佐八幡神社)の一宇。境内左側に奥から、奈良原神社、規模の大きい吹揚神社。境内右側に奥から、新三郎神社、厳島神社、天神社、猿田彦神社。
参道途中の三社合殿社
奈良原神社
吹揚神社
和霊神社・岡崎神社・高殿神社・應神社・今岡神社・厳島神社・旗立神社・一宮神社。明治42年合祀とある。
新三郎神社、厳島神社
天神社、猿田彦神社
伊曽能神社旧社地、一宮神社舊跡碑
訪問日:2016年10月11日
所在地:愛媛県伊予市上三谷平松 [地図]
伊曽能神社が鎮座していたと伝えられる地に「一宮神社舊跡」と刻まれた石碑がある。現社地から西南西約2.6km。JR予讃線南伊予駅から近い。伊曽能神社を復習して翌週に早速訪問できた。感謝。
一宮神社舊跡碑
裏面

明治42年遷座とあり、境内社吹揚神社のそれと一致する。
当社旧社地には別説があり、『式内社の研究』が取り上げている。
【新考】現在は神崎の南の山麓宮ノ下の氏神で吹上明神と称している。しかし元はここから遠くはなれた海岸に近い山間盆地の南山崎の曽根にあった。曽根は伊曽根のイが脱落したのであり、イソネは磯根である。イソノ神社は磯乃神社で、新居郡の伊曽乃神社と同意義である。この旧址は大洲へ通ずる南予への重要コースであり森川流域には曽根の外に聚落多く、西の谷の鉄道沿線の三秋はミヤケと呼んでいるから、屯倉もあって早くから中央に知られていたのであろう。これは吾川・石田二郷の郷社的意味で指定されたのであろう。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線北伊予駅が最寄り駅で直線約1.5km。
駐車場=小スペースながらあり
駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩は若干歩く、バイク、自動車は容易に到着できる。
境内社を含めて参拝は約15分程度の見込み。
御朱印は未確認、社務所あり、要問合せ。
[作成日]2025年02月12日
[更新日]2025年02月15日
[参考]
・愛媛県神社庁HP ・明治神社誌料 ・式内社調査報告 ・式内社の研究 ・特選神名牒 ・伊予市史