八百万のかみのやしろ巡り

湯神社

ゆじんじゃ

参拝日:2016年10月4日

湯神社湯神社御朱印  
所在地:

愛媛県松山市道後湯之町4-10 [地図]

御祭神:

大己貴命・少彦名命、(合祀)須佐之男命・稲田姫命

公式頁:

https://yu-jinja.official.jp/top.htm

社格等:

延喜式内社 伊豫國温泉郡 出雲崗神社

延喜式内社 伊豫國温泉郡 湯神社

明治12年県社

 
 2016年9月下旬から松山市に1ヶ月半ほど出張することになり、松山市近辺の式内社、国史見在社を中心に巡拝しようと計画。ということで最初の休日の2016年10月4日がこのたびの最初の参拝日。
 参拝の足はママチャリ、松山市内で長期のレンタサイクルを見つけられなかったが、中古サイクル販売のお店で自転車を購入、交渉して1ヶ月半後に買い戻してもらえることになった。
 ということで2016年10月4日午前の参拝。10月の気持ちよい晴の日、宿を午前7時台に出発、宿は松山市駅の近くだったので、市内電車の線路に沿って道後温泉に向かう。7:40頃に到着。

 道後温泉本館の裏手の丘の上、愛媛県松山市道後湯之町に鎮座。道後温泉本館から南へ200メートルほど行き、交差点を東に進むと伊佐爾波坂と呼ばれるなだらかな坂道になり、その途中に伊佐爾波神社の一の鳥居がある。まっすぐ行くと伊佐爾波神社、その途中の左側に湯神社への階段参道がある。

 延喜式に記載のある伊予國温泉郡四座のうちの一社。現社地から東2町、湯が湧出する鷺谷という地に鎮座していたが、天武天皇13年(685)の大地震で鷺谷の湯元が埋没した際、冠山に遷ってきた。元社地の鷺谷は、脚を痛めた鷺が湯に浸して治療していた伝承がある。
 冠山には元々出雲崗神社があり、両社は同じ境内で祭祀されていたが、いつしか合祀され、四社大明神と呼ばれた。その後主客が入れ替わり湯神社の名で総じて祀られるようになったという。この場所で湯神社の方に篤い信仰が集まるのは自然なことだったのだろう。伊佐爾波神社(湯月八幡宮)の西にあるので、西宮(湯月西宮)とも呼ばれた。

 社伝では景行天皇の勅により、鷺谷の地に創建、舒明天皇11年行幸の際、勅により社殿を新築した。いま祭神は大己貴命、少彦名命だが、元来は社名の通り、温水湧きいでる地か、湧水そのものを祀ったのではと思う。

 本社相殿の出雲崗神社は、社伝に7代孝霊天皇の御宇にこの地に創建、先述の通り当地は元々こちらの神域。祭神は素盞鳴命、稲田姫命。

 延喜式内の二社が合祀されている社だが、宝永5年(1709)に藩主の命で境内に別社となった。明治4年再び相殿に。

 伊佐爾波坂から階段参道を上り切ると、右側に中嶋神社、その脇に兒守社。さらに進むと本社拝殿と本殿、本殿の両脇に三穂社と八幡若宮社がある。
伊佐爾波坂の鳥居

湯神社境内入口の手前にある。伊佐爾波神社の鳥居と思うが、両社の鳥居として機能している感じ。直進で伊佐爾波神社。
 
境内入口

注連縄柱に社号とこの丘の名「冠山」。
階段参道の社号標

 
拝殿

拝殿

入母屋造の拝殿。いうなれば妻入入母屋破風に千鳥向拝付き。重厚感あり。
 
拝殿内陣の社号扁額

本殿(と左側の境内社)

流造の本殿。
 
本殿(と右側の境内社)

左右の境内社は片方が三穂社(事代主命・姫兒命)片方が八幡若宮(大鷦鷯命=仁徳天皇)。どっちがどっちかは不明。
境内社は前述の本殿両脇の三穂社と八幡若宮の他、中嶋神社と兒守社がある。
中嶋神社拝殿

昭和32年、四国四県の製菓業界によって但馬国の式内社中嶋神社から分祀。
 
中嶋神社本殿

祭神田道間守命。製菓の祖神とのこと。
中嶋神社の玉垣

四国各県の菓子工業組合の奉納がある。
 
兒守社

加藤嘉明の松山築城の際、勝山東麓より遷座、その際河野通広(一遍上人の父)の霊社に合祀とのこと。表札がないが、他に境内社もないので、おそらく兒守社であろう。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
伊予鉄市内電車の道後温泉駅から境内入口まで約200m、徒歩すぐ。
駐車場=道後温泉の有料駐車場がある。
駐車=バイク〇、自動車〇。周辺は旅館街、あまり広くない道だが、幹線道からの乗り入れは可能。
徒歩、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
境内社を含めて参拝は約10分程度の見込み。
御朱印は兼務社の伊佐爾波神社社務所にて、在宅ならば随時受け付けている。
[作成日]2025年02月06日
[更新日]2025年02月06日
[参考]  ・境内由緒書 ・特選神名牒 ・式内社調査報告 ・神社覈録
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