2016年9月下旬から松山出張中で、休日の2016年10月24日の参拝。
この日は今治市内を四国霊場札所を交えながら巡拝。国道317号線で今治に向かう途中に、
天一神社に立ち寄っている。その後、317号線を北上、蒼社川支流大野川左岸の道沿いの境内入口前に10:00頃に到着。
境内入口からすぐに階段、入口正面と階段両側を石垣でしつらえて僕好みの出来栄え。社殿のある階層までに3つの踊り場。拝殿は階段下から見えており、境内域は広くないが、各段の法面にも石垣が築造されていて、なかなかのつくり。
創建年代は不詳。
延喜式神名帳の伊豫國越智郡七座のうちの一社。以降中世後期の元亀2年(1581)の伊豫國神名帳に「大野ノ大明神」と現れるまで、史料には出てこない。
江戸時代前期には田中大明神と称した。貞享2年(1685)の『今治領寺社明細言上書』にその名が記されており、田の中に鎮座していたことによるという。その地は現社地ではなく、300mほど上流の地点、寛文初年頃(1661~1665のあたりか?)に今の地に遷座したとされる。
そして江戸中期以降は棟札に大野神社とあり、現社名となっている。
祭神は大山積神、上津姫命、下津姫命で三島信仰の神々。
『式内社調査報告』には上記祭神の他に配祀神として大穴牟遲命・少毘古那命とあって、現祭神は三島信仰の拡大によるものとしている。よって上津姫命、下津姫命は雷神、高龗神の神格が意識されていると思われる。
他説に、
大己貴命『豫州二十四社考』『豫陽郡郷俚諺集』『愛媛面影』
野椎神(鹿屋野比売神)『神名帳考証』(延経か?)『伊豫二名集』『神社覈録』
がある。
参道の社号標

「式内名神大野神社」とある。名神大社の意ではない。
境内社として一宇あり、内部に7つの扉がある。右から大山積神、大山咋神、天満宮(菅原道真)、田中神社(大山祇命)、大己貴神社、判読不明の表札、表札無く不明。本殿の左側にある。
境内社

不明の左二社は、愛媛県神社庁HPにある若宮、幸ノ宮に該当すると思われる。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線今治駅から直線距離で約6.4km、旧玉川町までのバスは実質ない。
駐車場=ない。
駐車=バイク×、自動車×。周辺は自己責任。
徒歩のみはきびしい、バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝は約5分程度の見込み。
御朱印=境内に社務所なし。