武蔵国一宮氷川神社の参拝のあと、一の鳥居まで氷川参道を戻ったのち、上木崎の足立神社に向かった。県道164号線の旧中山道を南へ進み、どこかの道を一旦東へ向かい、産業道路と呼ばれる道を再び南へ、上木崎5丁目の住宅街にある。氷川神社一の鳥居から15分後の9:30頃に到着。
2017年4月17日の朝の参拝。
埼玉県さいたま市浦和区上木崎に鎮座。JR与野駅から北東約830m、JRさいたま新都心駅から南東約1.3km。北西方向1.5kmにさいたまスーパーアリーナがある。産業道路の上木崎4丁目交差点からひとつ東の道を北へ向かうと参道入口の一の鳥居と社号標が立っている。一の鳥居からは参道が伸びる。神社の北側に公園があり、かつての境内の名残を感じる。
境内由緒書によれば開化天皇の御宇にに創建され、延喜式神名帳武蔵國足立郡足立神社は当社のことと口碑に伝わっているという。また古来より江戸期までは高塙明神社ともいい、当地が高塙郷と称したことに因るともいわれる。
明治期に地元の有志が当社を延喜式内社の足立神社であるとの運動を起こし、社名の変更に至った。
こうした経緯が伝わっているからか、当社を式内足立神社の論社とする文献は見当たらないが、植田谷本の足立神社(飯田の足立神社に合祀)が小島家の屋敷内にあり、小島家は上木崎から移住したとの口碑が伝わっており、若干ながら論社としての体裁はあるように思われる。
『新編武蔵風土記稿』には「高塙明神社 祭神猿田彦命、當村及び下木崎・北袋・瀬ヶ崎・針ヶ谷五村の鎮守なり、境内に観音堂あり」とあり、一定の祭祀圏を持った当地域の有力社ではあったことがうかがえる。
参道入口に延喜式内足立神社とある社号標がある。参道は舗装整備されており途中に二の鳥居があり、参道入口から約130m先に境内入口の鳥居がある。一の鳥居から境内入口の鳥居、社殿は若干東寄りで南面している。
境内社が社殿の周囲に五社あり、社殿東側に浅間社、稲荷社、八雲社、社殿西側に神明社、風天社がある。
一の鳥居

鳥居の扁額には「足立神社」。左側の脚に奉納者の氏名「市川治右衛門」とあり、この人が式内社運動の中心人物らしい。建立年銘を確認しておけばよかった。
境内入口の鳥居

参道と境内を地図上で見ると、銀杏の葉のようなかたち。
風天社

当地域が風、天災に見舞われることないよう祈願して鎮座している。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR与野駅が最寄駅、参道入口まで徒歩約15分。
参拝者駐車場=なかったと思う 駐車=バイク×自動車×。
徒歩、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
参拝時間は一の鳥居から境内を含めて約10分ほど。
神職は社務所に常駐していないので、御朱印は別途問い合わせが必要。