高縄神社
たかなわじんじゃ
参拝日:2016年10月31日
| 所在地: |
愛媛県松山市宮内甲102番地 [地図] |
| 御祭神: |
大山積神・高龗神・鳴雷神
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| 公式頁: |
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| 社格等: |
貞観5年(863)9月25日 高縄神 従五位下 三代実録
明治4年郷社
明治28年県社
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松山市への長期出張中の参拝。この日は休日で高縄半島西岸域の古社と、松山八社八幡はこの日までに
伊佐爾波神社、
日尾八幡神社、
桑原八幡神社は参拝を終え、残りの五社を自転車で巡拝。
國津比古命神社、
櫛玉比賣命神社から松山市街地方向へ踵を返して南下、一旦県道339号線に出てから河野別府地区で東に向かった辺りから高縄山を望むことが出来る。
参道には社号標と鳥居があって、社号標は二基あり、右側に立派なものと、左側に小振りだが趣きのある個人的に好みのもの。鳥居から約200m先に境内入口、10:30頃に到着。
愛媛県松山市宮内に鎮座、
高縄山を背にして集落の奥まった山裾にある。
和名抄にある河野郷にあたり、伊豫の河野氏発祥とされる地。
三代実録に貞観5年(863)、高縄神に従五位上の神階奉授の記事がある国史見在社。
社伝に推古天皇御宇7年(599)、越智益躬が高縄山頂の天神ヶ森に社壇を造立し大山祇神を勧請して創建、爾来越智氏の崇敬を受けていた。
保延2年(1136)、河野親清が卜占に従って、高縄山頂から今の地に奉遷した。以降は河野新宮、河野三島宮などと呼ばれ、河野氏の崇敬により、大三島の大山祇神社に類する壮大な規模だったという。
戦国期に河野氏が滅亡すると当社も衰退し、慶長5年(1600)には、戦火によって社殿、古文書など焼失した。
社殿の復興は江戸時代後期で、文化3年(1806)に拝殿、同9年に本殿が再建された。明治3年社号を高縄神社に改称した。
参道の鳥居と社号標

参道の鳥居と右の社号標

明治29年、西園寺公望謹書。
左の社号標

「式外奮社推古帝勅願所高縄神社」とある。
参道の狛犬

参道

階段参道

神門まではなだらかな階段。
神門

鳥居から約200m。
神門の社号扁額

拝殿

破風、向拝のないすっきりとした入母屋造り。
拝殿

中予に多い側壁のないタイプ。
拝殿内陣

本殿

銅板葺屋根が重厚な切妻造り。
舞殿?

舞殿、絵馬殿を兼ねているのかも。旧拝殿のような気も。
境内

愛媛県神社庁HPによると境内社は5社あり、十六王子社(市杵島姫命、外十五柱)、祖霊社、御先社(猿田彦命)、稲荷社(豊受大神、倉稲魂神)、金刀比羅社(金刀比羅大権現、須佐之男神、大山積神)あるが、それぞれに表札がなく、特徴的な稲荷社以外、該当する社は不詳。十六王子社の御神像十六軀は社伝に和銅年間の奉安という。
稲荷社

社殿の右側にある。右側に本殿への道がある。
境内社A,B

規模的に十六王子社か?。右側にもう一社ある(画像で見切れている)が撮影し忘れている。境内右側にある。
境内社C

境内社Aの左側にある。
境内社D

舞殿?の正面にある。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線柳原駅から境内入口まで約1.3km。
駐車場=境内の左側がそうかも、未確認。
駐車=バイク?、自動車?。
徒歩は若干距離あり、バイク、自動車は容易に到着できる。
一の鳥居、境内社を含めて参拝は約20分程度の見込み。
御朱印は在宅ならば受け付けているようす、要確認。
[作成日]2025年07月25日
[更新日]2025年07月25日
[参考]・境内由緒書 ・明治神社誌料 ・愛媛県神社庁HP