八百万のかみのやしろ巡り

宇和津彦神社

うわつひこじんじゃ

参拝日:2016年11月8日

宇和津彦神社  
所在地:

愛媛県西予市宇和町坂戸951 [地図]

御祭神:

大己貴命

公式頁:

社格等:

仁和元年(885)2月10日 宇和津彦神 従五位下 三代実録

 
 2016年9月下旬から松山市に1ヶ月半ほど出張で、この機会を逃すとなかなか行けそうのない宇和島市へ足を伸ばした。2016年11月8日の参拝。

 松山市から宇和島市へは宇和島バスがある。曇り空の朝、宇和島行き急行バスに乗り、途中、西予市にある当社に参拝するため途中下車。国道56号線沿いの加茂バス停に9:00過ぎ頃に到着。もう少し近いバス停も確認していたが、急行バスなので停車するのか分からず、この日は時間もあるので、加茂から歩くつもりでいた。
 未明に雨は降っていたようで路面は濡れていたが、この先降り出すような気配はなく、左へ曲がる地点を気にしながら体をほぐす気持ち良いウォーキング。当社境内前に9:40頃到着。

 西予市内で南流する肱川の流域、愛媛県西予市宇和町坂戸に鎮座。
 坂戸のある宇和盆地は中世に宇和郡を支配した西園寺氏の本拠地だった所。

 三代実録に神階奉授の記事がある宇和津彦神の論社。
 愛媛県神社庁HPには祭神大己貴命とあり、開拓神として大己貴命=宇和津彦神ということなのだろう。

 社伝に西園寺氏が宇和郡の領主となった嘉禎2年(1236)、西園寺氏の崇敬により社殿を造営したという。
 ただ西園寺氏が在地領主となったのは、14世紀中頃といわれ、西園寺氏による社殿造営があったとしても、その時期は若干下るのかも。

 当社に関する中古の文献資料はなく、正徳2年(1712)の『福楽記録(無量寿山福楽寺後伝記)』が初見で、それによると江戸時代初頭には末光一之宮明神と称して、末光家の祖霊社であった。また口碑に明治初め頃には太神宮と称していた。
 宇和津彦神社を称するようになったのは、明治の神社合祀令の頃らしい。明治40年前後だろうか。

 拝殿には右三つ巴紋がついていて、これは西園寺氏のものと同じ。祖霊社であれば末光家の家紋が付くのだろうが、そうではなさそう。紋の謂れ、拝殿の造営時期を知りたくなったが、詳細は不明。

 宇和津彦神は延喜式には現れず、三代実録の記載以降の動向は不詳で、いま宇和津彦神社を称するのは、当社と宇和島市野川新の宇和津彦神社がある。
 また『大日本地名辞書』は宇和島市三間町宮野下の三島神社を宇和津彦神の一考ありとしている。
境内入口の鳥居
境内には雨跡。
 
境内参道、拝殿
拝殿
妻入の入母屋造。
 
拝殿の社号扁額
本殿
 
拝殿と本殿
境内社
祭神は不明。あるいは末光家祖霊社の祭祀が続いている?
 
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線上宇和駅から約2km。
駐車場=あり(社殿の東側が可と思われる)。
駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩は若干距離あり、バイク、自動車は到着できる。
参拝は数分程度の見込み。
御朱印の受付はないと思われる。
[作成日]2025年08月08日
[更新日]2025年08月08日
[参考]・愛媛県神社庁HP ・伊豫史談182,197
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