櫛梨神社
くしなしじんじゃ
参拝日:2014年11月10日
2014年11月10日午前の参拝。雲気神社から約50分後に到着。国道319号線を走っていたら大麻神社のあたりまで行きすぎてしまい、そこから戻ったため少し時間がかかったのと、如意山の撮影ポイントを探すのにも少し時間をとった。
秋晴れの日でとても気持ちが良かったのを覚えている。
香川県仲多度郡琴平町下櫛梨に鎮座。JR土讃線善通寺駅から東へ直線約2.3km。如意山の南西麓に境内入口がある。如意山の麓の微高地添いに集落は多く、麓を降りきった平地に田園が広がる。社地と集落の調和がとてもよいなと感じた。延喜式神名帳に記載のある古社、讃岐國那珂郡櫛梨神社の比定社。
祭神は神櫛皇子命、景行天皇の皇子で讃岐国造の祖とも。讃岐公、酒部公はその裔ともいわれる。
創建について、社伝には景行天皇23年(93)に勅命を受けた神櫛皇子が悪魚を討つために土佐國から讃岐國への移動の際、大嵐に遭い、前後の判断もつかなくなった。そこで小山に登って天から火を乞い求めたところ、火が天より降りてきた。その明かりに助けられ船を櫛梨山の麓に泊めることができ、その地に祓戸神を祀った。船磐大明神という。また皇子は地の神を祀るため老翁にたずね、老翁が答えた大麻神と大歳神を祀り、更に山下明神、諏訪明神を祀った。その後悪魚征討に向かう時に経津主神・武甕槌神の武神を祀った。赤坂大明神という。
悪魚征討後は城山に城を築き、讃岐国造となった。仲哀天皇8年(199)120歳で薨ずると遺命によって櫛梨山に葬り廟を建て奉斎した。これを起源とし、皇宮大明神と称された。
元の鎮座地は山頂にあったとされ、火災によって現社地に遷座したと言われる(『香川縣神社誌』)。如意山が櫛梨山であるという記述は見当たらないのだが、如意山には峯がふたつあり、西側の峯を櫛梨山と考えて差し支えなさそう(かな)。境内から如意山西峯山頂への道がある。
県道206号線を北から琴平町域に入るとすぐ左手が如意山。山の麓に添って道を進むと境内入口の鳥居がある。階段参道の先、一旦平坦になり神門、神門をくぐると拝殿前はまた階段。山裾の神社のたたずまいらしい境内。鳥居から社殿まですべて南面している。
境内社はないが、明治43年に近郷の多くの神社が合祀されている。また境内から少し離れた西側に神櫛皇子命が船を繋いだ「船磐」がある。
参道の鳥居から神門
参道
参道の鳥居

神門までの参道
神門
神門から拝殿までの参道
境内入口の注連縄柱

右の柱に延喜式内、左に廿四社一とある。
拝殿

入母屋造の拝殿。
拝殿の扁額
本殿
合社記念の石

社殿の東側に合社記念の石。明治43年の合祀の時のものか?
櫛梨神社旧社地、如意山西峯山頂
訪問日:2014年11月10日
所在地:
香川県仲多度郡琴平町下櫛梨 [地図]
櫛梨山は現在の如意山の西側の峯だと思われる。社殿の西側から山頂への遊歩道がある。山頂に櫛梨神社に関わるものは残っていない。また西峯の南西麓に神櫛皇子命が船を繋いだ「船磐」がある。
如意山西峯

如意山は標高約158mだが、画像は西側の峯(147m)だと思う。
西峯山頂

櫛梨城址の石碑と巨石。
西峯山頂からの眺望

南側の眺望。木組みの展望櫓があったが、見るからに危なくて登れない。
船磐

境内から少し離れた西側にある。私有地だと思われる。場所がわからず地元の方に尋ねたところ、「あの家のほうだよ、見ていってよ」と気軽に応じてくださった。
祠は伝承にある祓戸神かと思ったが、いま画像を見るとなにやらバケツのような影も見える。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR土讃線善通寺駅から境内入口まで約3km、徒歩約35分程度。周辺は田園集落。
駐車場=なし。駐車=バイク△、自動車×。
徒歩は駅から若干距離あり。バイク、自動車は容易に到着できる。
如意山西峯山頂を含めて参拝は約1時間程度の見込み。
境内に社務所はなかった(と思う)。御朱印は事前に確認が必要。
[作成日]2016年5月25日
[更新日]2016年5月25日
[参考]
・式内社調査報告