八百万のかみのやしろ巡り

朝日八幡神社

あさひはちまんじんじゃ

参拝日:2016年10月31日

朝日八幡神社  
所在地:

愛媛県松山市南江戸5-1569 [地図]

御祭神:

品陀和氣命・帯仲津彦命・息長帯比売命・市杵島比売命・多紀理比売命・多岐津比売命

公式頁:

社格等:

明治初年郷社

松山八社八幡六番社

 
 松山市への長期出張中の参拝。愛媛県西部の式内社を巡る機会を得て、10月4日伊佐爾波神社参拝の折、松山八社八幡を知り、出勤前の時間に散歩がてら松山八社八幡を参拝してみることにした。
 10月29日に日尾八幡神社、翌30日に桑原八幡神社を参拝、さらに翌日のこの日は休日で高縄半島西岸域の古社と松山八社八幡の残りの五社を自転車で巡拝。

 高縄神社から県道347号線に出てから南下、途中に四国霊場の円明寺、太山寺に参拝し、衣山の王将で昼食。そこから1kmほど南の江戸山にある朝日八幡神社の裏参道に13:20頃到着。
 境内の南が南江戸地区の集落からの表参道で、そちらからの参拝が良い。僕は持参していた地図の精度が低く、北側から所在地目指してテキトーに進んだので、坂道を登ることになった。

 愛媛県松山市南江戸に鎮座。松山八社八幡の六番社。

 社伝に持統天皇御宇に創建、仲哀天皇、神功皇后の行宮跡に足頬地主神を祀り、沼戸明神と称したことに始まるという。明神号はともかく、沼戸は当地江戸山と勝山(松山城)の間はかつて沼地だったらしく、この名が伝わっているのかも。
 のち、山崎八幡宮(いまの離宮八幡宮、京都府乙訓郡大山崎町)から八幡神を勧請し、山崎八幡と改称した。勧請した年代は不詳。
 祭神は八幡信仰の神々で、創建時の足頬地主神の祭祀は行われていないようす。

 貞和年間(1345-1349)に兵火で焼失したが、延文6年(1361)河野通堯が今の地に再建、応永19年(1412)にも河野氏が社殿を増築した。

 近世初頭、加藤嘉明が松山築城した際、八社八幡を定めて周囲の固めとし、当社は六番社として、その内の一社となった。

 明治3年、いまの朝日八幡神社に改称した。
参道入口の社号標
「郷社朝日八幡大神」とある。
 
参道の注連縄柱
参道の鳥居
ここまではなだらかな舗装路、ここからしばらく階段。
 
参道の石灯籠
階段参道はなだらかで踊り場も5か所ほどあっただろうか。
境内入口の神門
階段が始まってここまで約100m。
 
神門から拝殿
拝殿
 
拝殿
個人的好みの妻入の入母屋造り、唐向拝付き。
拝殿内陣
 
本殿
流造り。
拝殿と本殿
開放的な境内。
 
愛媛県神社庁HPによると境内社は2社あって、稲荷神社(宇迦之御魂神、稚産霊神、保食神、火除稲荷神、雪稲荷大神)と奈良原神社なのだが、稲荷神社には行けていない。今回は裏参道から参拝したため、まずは神門までを撮影し、その後表参道に回り込んでから石灯籠まで撮影したので、神門と石灯籠の間の参道に境内社があるとは思わず、稲荷神社にたどり着けなかったのだ。ザンネン。
奈良原神社
境内の西側にある。祭神は保食神外一座。
 
裏参道階段
裏参道の鳥居
離宮八幡宮奉納の鳥居。
 
奉納記念碑
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線松山駅から境内入口まで約700m。
駐車場=なし。
駐車=バイク×、自動車×。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
参拝は約15分程度の見込み。
御朱印は在宅ならば受け付けているようす、要確認。
[作成日]2025年07月29日
[更新日]2025年07月29日
[参考]・境内由緒書 ・明治神社誌料 ・愛媛県神社庁HP
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