2012年5月14日の早朝の参拝。前日の大阪南港を16:50に出港、新門司港に定刻通り14日5:30に入港した。前日の予報では福岡北部は朝から雨、入港前にフェリーの甲板に出てみると、空には今にも降り出しそうな雲。合羽着用を覚悟して最初の目的地、香春神社へ向かった。
新門司港から県道25号線を南西に進み、国道10号線を越えてそのまままっすぐ進む。九州道を過ぎて、北九州モノレールと並行する道を進むと国道322号線に到る。国道322号線を南下して、鉱山の雰囲気漂う香春町内に入ってしばらく進むと、香春岳が右側に見えてくる。香春岳とは南から一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳の総称である。香春神社に6:40頃到着。私にとって香春岳といえば、「青春の門」。主人公の出身地の象徴として、冒頭の描写が印象的である。
福岡県田川郡香春町香春に鎮座。香春神社の祭神は辛国息長大姫大目命、忍骨命、豊比売命で、元はそれぞれ一ノ岳に辛国息長大姫大目命、二ノ岳に忍骨命、三ノ岳に豊比売命が祀られていたという。この三神を合祀し、一ノ岳南麓に祀ったのが、和銅2年(709)であるとされる。
六国史に神階奉授の記事があり、延喜式神名帳には辛国息長大姫大目命神社、忍骨神社、豊比咩神社として記載されている。
『豊前国風土記』に「新羅の神が渡来し、河原に住んだので鹿春神という」との記述がある。一説にこの鹿春神が一ノ岳の神、辛国息長大姫大目命であるという。
二ノ岳の忍骨命は、社伝には瓊瓊杵尊の父、天忍穂耳命であるという。また『続日本紀』には「香春ノ岑ノ神、忍骨命」とあり、香春岳で産出される石灰石を示している神であるとも。
豊比売命は元は三ノ岳の中腹の阿曾隈の森(これを古宮の鼻ともいうらしい)に祀っていたが、高巣の森(いま古宮八幡宮がある)に遷座し、さらに和銅2年に一ノ岳南麓の現在地に三神を合祀したといわれている。豊比売命は一説には神功皇后の妹ともいう。
また一ノ岳南麓の現在地には三殿が鎮座していたが、豊比売命だけは、通常は三ノ岳に祀られており、祭礼の時にだけ社殿に遷って坐していたともいう。あるいは豊比売命は高巣の森から遷座しなかったという説も。貞観7年の神階奉授の際も豊比売命だけない。豊比売命は他の二神とは明らかに異なる性格をもっている。とても興味深い。
ところで香春岳は天台宗との関係が深く、香春三神の承和4年の官社への昇格は太宰府の推薦によるもので、その理由として、最澄が入唐の無事を祈って香春神社に参篭して山麓に寺を造ったことが発端とされる。それで一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳の山頂には山王権現の社壇があったそうだ。ちなみに承和4年の国史の記述は最澄の入唐から33年しか経っておらず、実際に最澄が香春神社に参詣した可能性は高いといわれる。
香春駅から北西方向、金辺川を越えたあたりの集落から北へ向かうなだらかな階段参道が伸びている。社殿まで一直線で、鳥居から社殿まで、すべて南面して建っている。境内入口の鳥居から社殿まで5分程度。
境内社として、本殿の左脇に山王神社(石祠)、更に左側に石祠三宇が並んでいる。
山王石

昭和14年6月30日、山頂から轟音と共に落下してきたが、社殿に被害はなく、人的被害もなかった。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR日田彦山線香春駅から境内入口の鳥居まで約700m、川を迂回するので徒歩約15分程度。
参拝者駐車場=なかったと思う 駐車=バイク△、自動車×。周辺は住宅地、生活道路のあまり広くない道。
最寄駅から徒歩圏内、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
参拝は約15分程度。
御朱印は早朝の参拝のため不明、念のため確認を。