2016年8月4日、出勤前の時間を使って宿近くの神社を回った日。沼垂の白山神社とその向かいの乙子神社の参拝の後の巡拝。白山神社の境内裏手は国道7号線栗ノ木バイパスで、そのはす向かいに建っている背の高い鳥居が蒲原神社のもの。栗ノ木バイパスはかつて栗ノ木川が流れており、新潟の河川交通の一翼を担っていたという。今埋め立てられた道路から一本西の道路沿いに境内入口がある。7:07頃の到着。
新潟県新潟市中央区長嶺町に鎮座。JR信越本線新潟駅から西へ直線約700m。境内入口は栗ノ木バイパスからひとつ西の道路沿い。
創建年代は不詳ながら、1200年以前の創建と推定される蒲原郷の総鎮守。
平安時代には越後国唯一の港として阿賀野川の河口にあった蒲原の津の郊外、金鉢山に鎮座していた。日本海を望む景勝の地に鎮座していたので、社名を青海社としたという。元禄元年に信濃川の川欠けによって移転を余儀なくされ、元禄3年に現在地へ移ってきた。明治初頭までは御祖神の椎根津彦命の他5柱の祭神を祀っていたことから五社神社と称されており、昭和60年頃あたりまでは境内入口に「郷社五社神社」の社号標が建っていたらしい。
昭和58年に蒲原の神社と通称してきたので、「蒲原神社」と正式に改正した。
越後國蒲原郡青海神社の論社として、『大日本地名辞書』が比定している。
『大日本地名辞書』は鎮座地近辺にある鐙(あぶみ)、近江山、近江驛などの地名から、倭名類聚抄の青海郷とし、蒲原神社を青海神社にあてた。
祭神は多いが、主祭神は椎根津彦命。椎根津彦命は神武天皇東征に仕えた神。椎根津彦命の裔が蒲原郷に封ぜられたとあり、その祖神を祀っている。
また蒲原神社は「蒲原の六郎さま」として近在の信仰を集めている。蒲原の六郎さまとは鎌倉時代の武士で畠山六郎重宗。仔細あって蒲原の地に住み、その後当社の神官として作柄の豊凶を占う託宣を始められた。これは現在も受け継がれている神事。
栗ノ木バイパス沿いによく目立つ背の高い朱塗りの鳥居が建っている。栗ノ木バイパスから一本西の道路沿いに境内入口の社号標と鳥居、参道を進むと舞殿。この舞殿は左右に2つ舞台があり、それらを渡り廊下で結ぶ珍しいもの。その先に拝殿。本殿はその後方。境内入口の鳥居から社殿まですべて東向き。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄り駅はJR信越本線新潟駅から東へ直線で700m、徒歩約15分
参拝者駐車場=なし 駐車=バイク×自動車×
参拝時間は境内外の大鳥居を含めて約10分ほど。
御朱印は早朝だったため未確認。社務所に常駐していると思われるが、念のため要確認。