宿の近くの神社が平将門に由縁のある神社だとわかり、調べてみると千代田区周辺に集中している。そこで朝の出勤前の時間に巡るのも面白いかなと思い当社を皮切りにして実行した。
はじめたのは2017年3月29日、早朝の参拝。飯田橋駅の北側の外堀通りから大久保通りと呼ばれる道を進むと変則五差路、その北東寄りが当社の階段参道で登り口に注連縄柱が建っている。6:30頃に到着。
東京都新宿区筑土八幡町に鎮座。境内の表記や地図など多くは「筑土八幡神社」となっているが、正式には「八幡神社」。各線飯田橋駅から北東へ直線約500m、外堀通りからは若干の高台の地。
社伝には、牛込の里の八幡神を厚く信仰する翁の夢に神霊が現れ、「われ、汝が信心に感じ跡をたれん」と告げたので、目が覚めると身を清めるために井戸に赴いたところ、そばにあった一本の松の樹の上に細長い旗のような美しい雲がたなびいた。その雲中から白鳩が現われて松の梢にとまった。そこで翁はその松に注連縄を結い祀ったことが創祠という。嵯峨天皇の御宇のことと伝わる。
その後、伝教大師最澄がこの地を訪れた時、創祠の話を聞き、神像を刻み祀ったという。その時に筑紫の宇佐宮の土を礎としたことから、筑土八幡神社を社号としたという。
さらに文明年間(1469-1487)江戸開拓にあたった上杉朝興が社壇を発展、この地の産土神とし、江戸鎮護の神として崇敬した。当地は扇谷上杉家の城館があったとも伝えられている。
かつては築土神社が隣接して鎮座していた(いまは九段北1丁目に遷座、このあとに参拝)。境内への階段参道左の民家への道はその名残のように思える。
社号標と参道入口を挟んだ向かいには「田村虎蔵先生顕彰碑」がある。田村虎蔵は唱歌きんたろうの作曲者、かつて神社の裏手に住んでいた。
社殿は昭和20年、戦災により焼失、昭和38年氏子の人々によって再建された。工事は熊谷組によるものということ。その本社が当社の向かいにある。
また当社には平将門が合祀されているという説があるそうだ。また将門の足を祀ったとか、境内に将門の足が埋葬されているとも。
大久保通り筑土八幡町交差点の北西に境内への階段参道、左脇に社号標。階段参道には順に注連縄柱、鳥居が建ち、途中は小さな公園になっている。境内までの参道は南東向き、社殿の建つ境内に上がると参道は若干東寄りになる。社殿は玉垣で囲まれ、本殿の裏側にも回り込める。境内社に宮比神社がある。
参道と鳥居

鳥居は享保11年(1726)建立で新宿区で一番古い鳥居らしい。
宮比神社

祭神は宮比神で大宮売命・天鈿女命ともいわれる。境内由緒書の「・」が"and"なのか"or"なのか、読み取れない。いまの下宮比町の旗本屋敷あったものを明治40年に遷座した。
庚申塔

寛文4年(1664)に奉納された。桃が図柄にあるのは珍しいという。