
...霊場の繁多寺にご挨拶し、さらに県道40号線を南下すると県道334号線との合流地点が久米八幡神社前交差点で、そこが境内入口。 境内を起点にすると南西域は道後平野が広がり、北東へは高縄半島の山塊が延びていく地。近くの四国霊場の浄土寺に立ち寄ってから当社前に8:00頃到着。 愛媛県松山市南久米町に鎮座。松山八社八幡の三...

...れているかたち。松山八社八幡の五番社。 社伝によると589年(崇峻天皇3年)、筑前国の宗像神を勧請して創建、門嶋宮と称していた。宗像神の勧請は越智益躬によるという。 『三代実録』の神階奉授記事にある門島神と門嶋宮は類似があるが、国史見在社として比定する史料は見当たらないので、これは私的な比定。 また宗像神の勧請の前に...

...0頃に到着。 愛媛県松山市御幸1丁目、住宅街の奥まった山麓に鎮座。松山八社八幡の七番社。 社伝によると、貞観年間(859-877)に越智氏が石清水八幡を勧請して創建された。 中世は河野氏の崇敬があり、延元年間(1336-1340)には懐良親王が武運長久を祈願したという。永享年間(1429-1441)頃は御幸村八幡...

...ドナルドのマークを発見。この時はマクドナルドの株主優待券を持っていたのでこちらの出番となった。バイクを駐車しているとついに雨が本格的に降ってきた。御許山も予定しているが、今日はあきらめたほうがいいかな~と思い始める。 駅館川のほとりまで来てしまったので、先に近い所からということで、瀬社橋の西詰に鎮座する郡瀬神社。ここか...

...5年(728)、伊予の豪族越智玉純が、大三島より勧請、石井郷一宮三島大明神と称する社を建立したという。 後に、嵯峨天皇の皇子、寛王(源寛)が、伊予の国司として赴任、貞観18年(876)この地で亡くなったといわれ、墓地が神社の近くにあったので墓邊神社と呼ばれていた。 後世、墓の字を避け、波賀部神社に改めたといわれている。...