2014年12月に小倉への出張となり、前乗りして博多駅周辺を巡拝した日。
博多駅に着いた後、警固神社、櫛田神社、下照姫神社からの巡拝。下照姫神社からは南方向に直線約600m、14:15頃到着。
社前にある池はかつての海の名残りであるらしい。地続きの島に境内社の天津神社がある。
鳥居から真っ直ぐ参道が伸び、中門をくぐると拝殿。参道脇にいくつかの境内社が配されている。本殿は瑞垣に囲まれ、住吉造の本殿の屋根を見ることが出来る。鳥居から社殿までは一貫して西向きの配置。
参拝者は僕だけで、国の一宮を一人でじっくり参拝でき、とてもうれしかった。
博多区住吉に鎮座。博多駅、天神、中洲に近い市街地にある社。いまは街の切れ目もなく一体化した市街地だが、かつては当社を中心とした独立した邑だったらしい。
鎌倉時代の地形を表しているという当社所蔵の『博多古図』によれば、この地は那珂川の河口にあたり、海を眼前にしていた。イザナギが黄泉の国から帰って来た時に禊を行った筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原の伝承地のひとつ。
禊の際に筒男三神、綿津見三神、直日神が示現した。このうち筒男三神は底筒男命、中筒男命、表筒男命で総じて住吉三神。綿津見三神は志賀海神社、直日神は警固神社の祭神で近隣の著名な社の祭神。
当社は住吉三神を主祭神とし、本邦住吉神社の始源の社ともいわれる。古来より航海安全、船舶守護の神。相殿の天照皇大神、神功皇后と合わせて住吉五所大神とも称される。
創建年代は不詳で、国史での初見は続日本紀の天平9年(737)4月、新羅の無礼を当社に告げたことが記されいる。三代実録の貞観元年(859)には、従五位下の神階が奉授された。
延喜式内社で筑前国郡座のうちの一社で名神大社。
左経記には寛仁元年(1017)、後一条天皇即位に当たって大神宝奉献の対象社になっていることが記されている。
古来朝野の崇敬を受けてきた社だが、当社が文献上一宮として現れるのは、建武3年(1336)の足利尊氏寄進状であり、国内に有力な社が複数あって南北朝期までは一宮の特定はなされていなかった。
祭神名にある「つつ」についてはいくつかの説がある。
1.つつには星の意があり、星の位置が航海には欠かせないことに由来する。
2.船の帆柱を立てる筒に由来する。
3.航海に際し、災いを回避するために乗船した潔斎者(持衰と呼ばれた)のさま「謹(つつ)」からきているとする。
4.対馬の豆酘(つつ)の阿曇族が神功皇后の三韓征伐で功をあげ、現人神として筒男神となった。
古い時代の当社の様子は絵図に残されていて、博多古図や、竹崎季長の『蒙古襲来絵詞』には朱塗りの住吉鳥居が描かれている。
そして古文書はというと、天文20年(1551)周防の大内義隆に造替依頼のために送り届けた所、大寧寺の変によって失われている。
近世に黒田氏が入部すると、元和9年(1623)には社殿が再建された。本殿はこの時のものでいまは国重要文化財。
天明年間に随身門、瑞垣門、神楽殿が再建、江戸時代後期に唐門が建造された。この唐門は市の有形文化財。
本殿

住吉造の本殿。元和9年(1623)黒田長政の寄進により再建。国重要文化財に指定。
本殿後方から

摂津の住吉大社を見慣れているので、透塀に囲まれている住吉造はちょっと新鮮。
境内社はとても多く、境内のいろいろな場所にある。また境内の前方にある天竜池の亀島にもある。さらに境外摂社の下照姫神社も徒歩圏内にある。
天竜池

一の鳥居の向かいにある。かつての海の名残ともいわれる。
三日恵比寿神社

本殿の右側にある。祭神は恵比須大神。画像右は功徳池で昔は放生会が行われていた。
一夜の松

社殿造営の邪魔になり切ろうとしたところ、一夜のうちにまっすぐになったという伝説がある。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR博多駅から約1.2km。他にも最寄り駅多数。
駐車場=あり、駐車=バイク○、自動車○。
駅から徒歩圏内、バイク、自動車で容易に到着できる。
境内社含めて参拝は約30分程度。
御朱印は常時受付のようす。