八百万のかみのやしろ巡り

梛神社・隼神社

なぎじんじゃ・はやぶさじんじゃ

参拝日:2017年6月18日

梛神社・隼神社
梛神社御朱印 隼神社御朱印
所在地:

京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町18-2 [地図]

梛神社御祭神:

素盞嗚尊、(配祀)稲田姫命・宇賀御魂命・瓊々杵尊・伊弉冉尊・菅大神・誉田別尊

隼神社御祭神:

武甕槌神(隼大神)、(配祀)経津主神・塩土神・手力男神

公式頁:

https://motogion-nagijinja.or.jp/

梛神社社格等:

隼神社社格等:

貞観2年(860)6月15日 従五位下 三代実録

貞観7年(865)6月4日 従五位上 三代実録

貞観10年(868)11月17日 従四位下 類聚国史

貞観16年(874)8月4日 従四位上 三代実録

天慶3年(940)9月4日 従三位 日本紀略

延喜式内社 京中 同京四條坐 隼神社 (大) 月次新嘗

 
 2017年6月18日の参拝。阪急電車の大宮駅が近いが、西院駅でも徒歩圏内。京都市バスの停留所も神社前にあり、交通至便。12:10頃の到着。

 元祇園と称される梛神社と、延喜式内社の隼神社が同居して、京都府中京区壬生梛ノ宮町に鎮座。四条通坊城の街中の神社。

 梛神社は清和天皇の貞観年間、京都に疫病が流行した時、播磨国広峰より牛頭天皇を勧請した。その時八坂郷より先に一旦この地の梛の木の森に祀ったことが創祀とされる。
 のちに神霊を八坂郷に遷す際、この地の民が傘をかざして棒を振り、楽を奏して神輿を送ったといわれ、これが祇園祭の起源とされている。
 中世以降衰微していたが、明治7年に再興された。

 隼神社は延喜式神名帳筆頭の宮中神三十六座に次いで京中坐神三座と記載されているうちの一社。元は当地から北へ約300mの地に鎮座していたが、大正9年5月に遷座された。
 また貞観年間の神階奉授は後院(当時は朱雀院)の隼神で、その南西部に隼神が祀られていた。四条通とJR山陰線の交差する北側東の場所がそれ。
 江戸期には、畑の中にある小祠で、はやくさの社と呼ばれていた。はやくさははやぶさからの転訛という。「はやくさ」から瘡神としての信仰があり、祈願には、土饅頭を作って供えるといったもの。僕も別の場所で一度見たことがあって、それは奈良県平群町の消渇神社で、婦人の病平癒祈願であった。各地には似た風習があるらしいので、また出会ってみたい。

 ということで、両社とも疫病除けの神として信仰を集める社となっている。

 境内社に田中社と稲荷社があるが、詳細は資料がなくわからない。
 『新撰京都名所図会』には田中社が描かれていないので、昭和40年代以降に祀られるようになったと思われる。
四条通りから全景
社号標は鳥居の右側に「式内隼神社」、左側に「元祇園梛神社」。
 
坊城通り側の境内入口の鳥居
こちらの社号標は「元祇園梛神社」だけ。
隼神社の社号標
 
両社の正面
左側が梛神社、右側が隼神社
梛神社拝所
拝殿はなく唐門の前が拝所。
 
梛神社拝所と本殿
流造り。
隼神社拝殿
唐破風のある入母屋造拝殿。
 
隼神社本殿
右からなんとか見えた。流造りでこちらには千木がある。
田中社
四条通りを背にして、境内の北側にある。
 
上川稲荷社
坊城通りを背にして、境内の東側にある。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
阪急京都線大宮駅から西へ約450m。
参拝者駐車場=なし、駐車=バイク×自動車×。
大宮駅から徒歩約5分。
参拝は約10分程度。
境内に授与所があり、常時受け付けているようす。

隼神社旧社地、隼神社舊跡碑

訪問日:2026年4月21日

 所在地:京都府京都市中京区壬生御所ノ内町 [地図]
 現社地から北へ約300mの地点、蛸薬師通坊城下ルに「式内隼神社舊跡」と刻まれた石碑がある。遷座した時の「大正9年5月」と刻まれている。
 またこの辺りは平安京の「四条坊門坊城」にあたり、同じ京中で左京二条坐神二座のうちの久慈眞智命神が四条坊門坊城の西にあったという説がある。
隼神社舊跡碑

[作成日]2026年05月03日
[更新日]2026年05月03日
[参考] ・式内社調査報告 ・神祇志料 ・新撰京都名所図会
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