所在地: | 大分県宇佐市安心院町妻垣203 [地図] | |
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御祭神: | 比咩大神・八幡大神・神功皇后 | |
公式頁: | ||
社格等: | 宇佐神宮行幸会八社の一社 |
妻垣神社
つまがきじんじゃ
参拝日:2012年5月14日
宇佐神宮の参拝を終えた時間が17:00。バイクに戻ってくると、これまではぐずっていた空も我慢できなってきた感じがする程の雨が降り始めた。時間もあって大元神社(御許山)は完全にあきらめて妻垣神社へ向かう。 国道10号線を西進して、国道387号線を南下、県道42号線で旧安心院町域に入る。国道500号線から県道50号線を南下、50号線の東、妻垣公民館のある道沿いに妻垣神社の鳥居が建つ。17:30頃の到着。早朝5:30頃に新門司港に着いてほぼ12時間行動、さすがに疲れていたのを思い出す。
大分県宇佐市安心院町妻垣に鎮座。宇佐神宮行幸会八社の一社で、都麻垣社や爪掻社とも称せられた。また神武天皇東遷の旧跡足一騰宮の伝承地でもある。
社殿の創建は天平神護元年(765)、宇佐宮に坐す八幡大神から勅使石川豊成に共鑰山(妻垣山)に社殿を設け祀るようとの神託を下し、社殿を造営、比咩大神・八幡大神を祀ったという。神功皇后は淳和天皇御宇、天長年間に勧請された。
主祭神の比咩大神は玉依姫命とされ、他の八幡社とは少し趣が異っている。玉依姫命と御許山に降臨したという比売大神は同体といわれており、比売大神が初めて祀られたのは当社であるとされている故のことと思われる。
参道の鳥居
50号線の東、妻垣公民館のある道沿いに建っている妻垣神社の鳥居。脇の案内看板には「古跡 足一騰宮」とある。表参道の鳥居
石階段の参道登り切ったところに建つ二の鳥居。扁額には八幡宮とある。境内入口の神門
拝殿
シンプルな平入の切妻造り。拝殿前の石灯籠に享保9年銘がある。本殿
本殿。神門から本殿まで朱で統一されていて、不謹慎ながらシャア専用だなと思った。貴船社
本殿の左側に鎮座。神社辞典
宇佐神宮行幸会八社の項
宇佐神宮行幸会とは宇佐神宮の神輿を奉じ、同宮と関係深い八社を4年もしくは6年ごとに巡幸する神事のことである。その八社は
▼大根川神社 大分県宇佐市佐野。
▼乙咩神社 大分県宇佐市下乙女。
▼泉神社 大分県宇佐市辛島泉。
▼郡瀬神社 大分県宇佐市樋田。
▼鷹居神社 大分県宇佐市東上田。
▼田笛神社 大分県豊後高田市界
▼妻垣神社 大分県宇佐郡安心院町妻垣大門。
▼小山田神社 大分県字佐市北宇佐
で、宇佐八社ともいい、字佐神宮の境外摂社ともいわれた。
行幸会は『永弘家文書』の『宇佐宮年中行事注文案』によれば、天平勝宝元年(749)に始まるとし、『八幡宇佐宮託宜集』には神護景雲元年(767)始まるとする。また応永30年(1423)の『字佐宮寺造営並御神事法会御再興日記』には、弘仁8(酉)年(817)に始行し、以来卯・酉年ごとに行幸したとある。薦神社の池の薦を刈って御験とし、神輿に奉じて八力社を巡幸した後、御験は宇佐神宮の上宮に納め、旧御験は下宮に遷し、下宮の御験を奈多宮に遷幸するのが、行事の概略である。
八幡神が宇佐に出現する以前仁聞(人聞・人母)菩薩として修行した時、このように八社を巡行したと説いている。初めて行った時代は4年ごと、弘仁以後6年ごとであったが、規模の大きい祭事であったから、応永に再興、更に元和2年(1616)再興を見るが再び中絶する。昭和46年自動車による行幸会が再行された。
巡幸の順序は記録によって多少の相異があるが、昭和の行幸会が3月27日に発輦、一旦田笛社より下宮に還幸、翌28日妻垣社から巡幸した次第によって、上記のように列記した。
全国に分社の多い八幡神の起源にかかわる重要な神事であるが、巡行中各社における祭事の複雑さとともに、この古神事の意義を解く諸家の諸説も多岐にわたり不明の部分が多い。
▼大根川神社 大分県宇佐市佐野。
▼乙咩神社 大分県宇佐市下乙女。
▼泉神社 大分県宇佐市辛島泉。
▼郡瀬神社 大分県宇佐市樋田。
▼鷹居神社 大分県宇佐市東上田。
▼田笛神社 大分県豊後高田市界
▼妻垣神社 大分県宇佐郡安心院町妻垣大門。
▼小山田神社 大分県字佐市北宇佐
で、宇佐八社ともいい、字佐神宮の境外摂社ともいわれた。
行幸会は『永弘家文書』の『宇佐宮年中行事注文案』によれば、天平勝宝元年(749)に始まるとし、『八幡宇佐宮託宜集』には神護景雲元年(767)始まるとする。また応永30年(1423)の『字佐宮寺造営並御神事法会御再興日記』には、弘仁8(酉)年(817)に始行し、以来卯・酉年ごとに行幸したとある。薦神社の池の薦を刈って御験とし、神輿に奉じて八力社を巡幸した後、御験は宇佐神宮の上宮に納め、旧御験は下宮に遷し、下宮の御験を奈多宮に遷幸するのが、行事の概略である。
八幡神が宇佐に出現する以前仁聞(人聞・人母)菩薩として修行した時、このように八社を巡行したと説いている。初めて行った時代は4年ごと、弘仁以後6年ごとであったが、規模の大きい祭事であったから、応永に再興、更に元和2年(1616)再興を見るが再び中絶する。昭和46年自動車による行幸会が再行された。
巡幸の順序は記録によって多少の相異があるが、昭和の行幸会が3月27日に発輦、一旦田笛社より下宮に還幸、翌28日妻垣社から巡幸した次第によって、上記のように列記した。
全国に分社の多い八幡神の起源にかかわる重要な神事であるが、巡行中各社における祭事の複雑さとともに、この古神事の意義を解く諸家の諸説も多岐にわたり不明の部分が多い。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
神社のある安心院町へは中津駅から宇佐市内を経由してバス路線がある。うまく調べれば往復可能かも。参拝者駐車場=なし 駐車=バイク△、自動車×。
徒歩のみでは困難、バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝時間は一の鳥居から徒歩で参道を登って約10分程度。
境内に社務所がある。御朱印受付の詳細不明。
[作成日]2019年11月10日
[更新日]2019年11月10日
[更新日]2019年11月10日
[参考]
・参道の由緒書