所在地: | 香川県善通寺市大麻町上ノ村山241 [地図] | |
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御祭神: | 天太玉命 | |
配祀神: | 天津彦彦火瓊瓊杵尊、天香語山命、天櫛玉命、天糠戸命、天御陰命、天神立命、天三降命、天伊佐布魂命、天事湯彦命、天神玉命、天村雲命、天世手命、天湯津彦命、天神魂命、天乳速日命、天活玉命、天下春命、天鈿女命、天道根命、天明玉命、天造日女命、天玉櫛彦命、天日神命、天伊岐志迩保命、天表春命、天兒屋根命、天椹野命、天背男命、天斗麻彌命、天八坂彦命、天少彦根命、天月神命 | |
公式頁: | ||
社格等: | 貞観7年(865)10月9日 延喜10年(910)8月23日 |
大麻神 従五位上 三代実録 大麻天神 従四位下 日本紀略 |
延喜式内社 讃岐國多度郡 大麻神社 | ||
明治5年 郷社 昭和8年 県社 |
大麻神社
おおあさじんじゃ
参拝日:2014年11月10日
香川県善通寺市大麻町に鎮座。大麻山の東麓にあって「こんぴらまいり」の金刀比羅宮はとても近い。JR琴平駅、琴電琴平駅から共に北西へ直線約1.2km。参道入口鳥居の手前から北に延びる道はかつて琴平参宮電鉄の線路だった道。
創祠年代は不詳。
社伝には神武天皇の御代、諸国に忌部の社を建立した時に創祠されたという。
往古、讃岐國で麻を植生するため土着した忌部氏が祖神の天太玉命を祀り、大麻神と尊称し崇敬した。
讃岐国造の祖である神櫛別命は景行天皇の勅を受けた南海の悪魚征伐の際、大麻神に征討祈願した。悪魚征討後讃岐国造の任に就き、穂積氏の忍山彦根に社殿の造営と祭祀を執り行う旨、勅を与えた。以来子孫が連綿と祭祀を司り、現在に至っていることは特筆される。
白鳳11年(683)忍山彦根20世孫に当たる穂積鵜麿により、天孫瓊々杵尊及び天孫降臨之供奉32神の木像を奉納、配祀神とした。現在の主祭神天太玉命及び配祀32神はこれ以降のこととされる。
三代実録に貞観7年讃岐國大麻神に対する神階授与の記事が国史の初見。延喜式神名帳には讃岐國多度郡大麻神社と記載されている。
国道319号線大麻町交差点から県道208号線が分岐、JRの踏切を北から渡るとすぐに参道の鳥居が見える。参道は社殿まで直線。鳥居の南側に御旅所、立派な社号標はここの中に東面して建っている。参道を約200m進むと階段と鳥居。そこから約120mで境内入口の神門、神門をくぐると拝殿への階段。階段の左側に白玖祖霊社と天神地祇社がある。階段を上がると拝殿と本殿。一の鳥居から本殿まで全て北東に面している。本殿の両脇に石祠群がある。
県道からの参道
参道と社号標
社号標には「延喜式内 御神像 ・・・・ 大麻神社」とあり、・の四字が判読できない。
一の鳥居
一の鳥居横の御旅所
参道の階段
一の鳥居から約200m
二の鳥居
神門への階段
神門
二の鳥居から約120m
社殿への階段
拝殿
二の鳥居から約120m
脇参道の鳥居と拝殿
拝殿の額
数字の部分が判読できないが、おそらく明治3年か5年のもの。
本殿
本殿
境内社として拝殿前の境内に白玖祖霊社と天神地祇社、本殿の両側に石祠群が祀られている。
白玖祖霊社
穂積忍山彦根以来、代々当社神主を勤める白玖氏の祖霊神を祀る。忍山彦根の穂積氏は物部氏の本宗家とも言われる。
案内板に「弟橘媛命を祀る」とある。弟橘媛命は忍山彦根の妹で日本武尊の妃。
案内板に「弟橘媛命を祀る」とある。弟橘媛命は忍山彦根の妹で日本武尊の妃。
天神地祇社
天照大御神、大己貴神、少彦名神、倉稲魂神、大土祖神、級津媛神、弟橘姫命、祓戸四柱神、天神地祇八百萬神を祀る(『式内社調査報告』)。
本殿南側の石祠
本殿北側の石祠
神社辞典
大麻神社の項
香川県善通寺市大麻町。旧県社。
天太王命を本座とし相殿に天津彦彦火瓊瓊杵尊および供奉三一神を祀る。
天照大神は皇孫瓊々杵尊に瑞穂国をよさし給いて天孫降臨なさしめた。そのとき祭神太玉命は供奉三二神の五伴緒の一神であり、忌部氏の祖神であった(紀)。往古、讃岐の忌部は当国を開拓し、麻を植え、殖産民福のもといを進めた。
神武天皇のとき太玉命の孫天富命は東国(上総・下総国)に往て麻穀を播殖る。また太玉命に麻を殖しむ(『古語拾遺』)とあるが、世世麻穀のことに功あったので讃岐の忌部の祖を大麻神と呼ぴ、その社を大麻神社と名づくるか。当社神殿に瓊々杵尊と供奉三一神の神像を配祀するのも、この縁によるか。
社伝によれば景行天皇の皇子神櫛別命は南海の悪魚を討伐し、そのとき大麻神の霊験あり、平定ののち国造に任ぜられた。いらい崇敬の念篤く現宮司白玖氏の遠祖穂積忍山彦根をして祭祀をつかさどらしめたという。子孫代代祠宮となり、連綿七一代、今日にいたるという。
貞観7年(865)従五位上を授けられ、延喜10年(910)大麻天神に従四位下を加え、延喜の制小社に列し、承暦4年(1080)御卜に、大麻神の崇により社司に中祓を科した。
社蔵の天太玉命坐像一躯・瓊々杵尊坐像一躯は旧国宝、現重文に指定せらる。本殿棟札に慶長18年(1613)・寛永3年(1626)以下12枚あり。
境内祖霊社には累代祠官の霊を祀る。末社に天神地祇社一社あり。例祭10月6日、7日。
天太王命を本座とし相殿に天津彦彦火瓊瓊杵尊および供奉三一神を祀る。
天照大神は皇孫瓊々杵尊に瑞穂国をよさし給いて天孫降臨なさしめた。そのとき祭神太玉命は供奉三二神の五伴緒の一神であり、忌部氏の祖神であった(紀)。往古、讃岐の忌部は当国を開拓し、麻を植え、殖産民福のもといを進めた。
神武天皇のとき太玉命の孫天富命は東国(上総・下総国)に往て麻穀を播殖る。また太玉命に麻を殖しむ(『古語拾遺』)とあるが、世世麻穀のことに功あったので讃岐の忌部の祖を大麻神と呼ぴ、その社を大麻神社と名づくるか。当社神殿に瓊々杵尊と供奉三一神の神像を配祀するのも、この縁によるか。
社伝によれば景行天皇の皇子神櫛別命は南海の悪魚を討伐し、そのとき大麻神の霊験あり、平定ののち国造に任ぜられた。いらい崇敬の念篤く現宮司白玖氏の遠祖穂積忍山彦根をして祭祀をつかさどらしめたという。子孫代代祠宮となり、連綿七一代、今日にいたるという。
貞観7年(865)従五位上を授けられ、延喜10年(910)大麻天神に従四位下を加え、延喜の制小社に列し、承暦4年(1080)御卜に、大麻神の崇により社司に中祓を科した。
社蔵の天太玉命坐像一躯・瓊々杵尊坐像一躯は旧国宝、現重文に指定せらる。本殿棟札に慶長18年(1613)・寛永3年(1626)以下12枚あり。
境内祖霊社には累代祠官の霊を祀る。末社に天神地祇社一社あり。例祭10月6日、7日。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線琴平駅から境内入口まで約1.8km、高松琴平電鉄琴平線琴電琴平駅から境内入口まで約1.6km、徒歩約20分程度。参拝者駐車場=あり。
駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
参道入口の鳥居から境内社を含めて参拝は約15分程度(自転車利用)。
境内に社務所はなかった(と思う)。御朱印は事前に確認が必要。
[作成日]2016年5月11日
[更新日]2016年5月11日
[更新日]2016年5月11日
[参考]
・式内社調査報告 ・古代諸国神社神階制の研究 ・神社辞典