八百万のかみのやしろ巡り(仮)
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田村神社

たむらじんじゃ

参拝日:2014年10月20日

讃岐国一宮田村神社田村神社御朱印  
所在地: 香川県高松市一宮町286 [地図]
御祭神: 倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命(吉備津彦命)、猿田彦大神、天隠山命(高倉下命)、天五田根命(天村雲命)
五柱の神を総称して田村大神
公式頁: http://tamurajinja.com/
社格等: 嘉祥2年(849)2月28日
貞観3年(861)2月13日
貞観7年(865)10月9日
貞観9年(867)10月5日
貞観17年(875)5月27日
元慶元年(877)3月4日
田村神 従五位下 続日本後紀
田村神 従五位上、列於官社 三代実録
田村神 正五位下 三代実録
田村神 従四位下 三代実録
田村神 従四位上 三代実録
田村神 正四位上 三代実録
延喜式内社 讃岐國香川郡 田村神社 名神大
讃岐国一宮
国幣中社
別表神社
さぬき十五社の一社

 
 2014年10月20日午前の参拝。ママチャリを調達して参拝の足にした。宿を出発する時には未明に降っていた雨はやんでいたが、空はいつでも降雨スタンバイ状態の様相。しかしそれにかまわずに出かけた。

 香川県高松市一宮町に鎮座。高松市中心部と高松空港のほぼ中間点、両者を結ぶ国道193号線、通称空港通りの三名町交差点を西進すると白い大鳥居が見える。こちらは北参道(裏参道)にあたる。
 周囲は住宅地と田圃が半々位にあって、都市部の町でしか暮らしたことのない者にとっては、いいところだな、と思うが、宅地化が進んだのは近年のことであるらしく、元は広大な田園地域であったそう。
 その田園を潤していたのは、田村神社近辺の豊富な湧水群であり、当社も湧水の淵が御神体で、社殿はその上に建っている。
 祭神は後述するように変遷を見るが、湧水源の崇拝が当社の祭祀の中心であったと思う。

 社伝には和銅2年(709)に社殿が建立されたとある。
 嘉祥2年(849)に田村神従五位下奉授の記事が国史への初見で、元慶元年(877)正四位上の授与を受け国内最高位の神階を持つ神社となる。
 延喜式神名帳では名神大社、讃岐国の大社三社のうちの一社。
 中世以降、国内最高位の名神大社を根拠に讃岐国一宮として国内の信仰を広く集めた。
 明治4年に国幣中社、戦後は神社本庁の別表神社。

 現在の祭神は倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命(吉備津彦命)、猿田彦大神、天隠山命(高倉下命)、天五田根命(天村雲命)、五柱の神を田村大神とする。
 しかし中世以降の文献では祭神の一定を見ることが出来ない。
 猿田彦大神『大日本國一宮記』『延喜式神名帳頭註』、五十狭芹彦命(吉備津彦命)『北條記』など。
 近世以降もその傾向に変わりはなく、神櫛別命、宇治比賣命、田村比賣命、猿田彦大神など『神名帳考證』、水佐々良比古命の兄弟田村命『神祇志料』など。
 現在の祭神は明治初期の『讃岐国官社考証』によるもの。

 社名も文献によって数多くの呼称がある。地名を冠した田村社のほか、代表的なものとして定水大明神、一宮大明神とも称された。
 「定水(じょうすい)」は田村神社の御神体で、本殿の後方、奥殿の御神座の床下の深淵を「定水」と呼ぶ。深淵は厚い板で覆い、宮司もそれを見ることをしないという。「定水」を見た者、かかわった者には龍が姿を見せ、のちに命を失ったという伝承があり、御神体を龍神としている。
 「一宮」は中世一宮制の成立以降の名称である。
 長禄4年(1460)12月日の文書『田村大社壁書』に「讃岐国一宮田村大社壁書之事」とあるのが確かな初見。永万元年(1165)6月日『神祇官諸社年貢注文』、嘉元4年(1306)6月12日『昭慶門院御領目録案』に見える讃岐国「一宮」は当社にあたるとされる。

 表参道は境内域からずっと南、琴平電鉄の線路付近からはじまる。琴電一宮駅の東側の踏切北に田村神社の大きな四角柱看板があり、その場所は御旅所になっている。その先に鳥居が建っている。御旅所から一直線の参道は社殿まで約450m。
 御旅所からはしばらく未舗装の参道を進み、しばらくすると一旦道路によって分断、その先は石畳の参道へと変わり、神門をくぐると広い境内に到達。さらにまっすぐ進むと拝殿。境内社は拝殿の東側にまとまっている。規模の大きい境内社は宇都伎社と素婆倶羅社。
北参道の大鳥居

高松市中心街からはこちらにたどり着く。駐車場もあり、多くの参拝者はこちらからの訪問になっていると思う。僕も駐車場の隅にママチャリを止めた。そして雨も降り出す。
 
お迎え布袋尊

大鳥居をくぐると金の布袋尊。お迎え布袋尊と名付けられている。
参道のはじまり

参道の最南端まで歩いてきた。琴電の踏切の北から参道がはじまる。
 
御旅所

踏切すぐ北側の御旅所。
一の鳥居

御旅所からすぐの場所に一の鳥居。
 
参道と注連縄柱
ここからしばらく歩いていく。
境内入口

参道は一旦道路が横切る。
国幣中社の石碑

境内入口左側に立つ「国幣中社」の石碑。両脇の石灯籠には「一宮大社」とある。
 
社格が刻まれた社号標

境内入口右側に立つ。「延喜式名神大一宮正一位田村神社」とある。社伝によると、建仁元年(1201)、正一位を奉授した。
二の鳥居

境内入口すぐの鳥居。扁額には「国幣中社田村神社」とある。
 
石畳の参道

神門までの参道。
隋神門

この門をくぐると、境内は東西に広がる。
 
隋神門からの参道

拝殿までの参道。
三の鳥居

拝殿前の鳥居。
拝殿

入母屋造りの拝殿。
拝殿

本殿奥殿は前方からも後方に回り込んでも見通せる場所がなかった。
 
拝殿

本殿奥殿の構造を見てみたかっただけに残念。

田村神社で頂戴したリーフレットには「本殿奥殿は春日造り、宝栄7年(1710)松平氏の造営。御神座は奥殿にあり奥殿の前方は本殿に接続し、御神座の床下に深淵があるのは洵に社殿講設上の異例である。」とある。「式内社調査報告」には切妻造妻入とある。

境内社は拝殿の右側の地区に、主に北からの参道に随して立ち並ぶ。
拝殿側から姫の宮、宇都伎社、淡島社、素婆倶羅社、天満宮、宮島社、稲荷社。
宇都伎社前の鳥居

本社参道鳥居の右に並んでいる。鳥居をくぐると巨大な龍の像。
 
宇都伎社拝殿

本社拝殿の右側にある。
宇都伎社本殿

祭神は大地主神、倉稲魂神。
 
姫の宮

本社と宇都伎社の間に鎮座。
素婆倶羅社拝殿

宇都伎社のすぐ右側に鎮座。
 
素婆倶羅社拝殿

素婆倶羅社本殿

祭神は少名毘古那神、大年神、塞神、大水上神、菅原神。
 
淡島神社

宇都伎社と素婆倶羅社の間にある。淡島社の後ろに「そばくら」と書かれた陽根像。
天満宮

 
宮島神社拝殿

 
宮島神社本殿と弁財天像

稲荷社

 
久延比古神を祀る石祠

 
神宮遙拝殿


境内の外にいくつか史跡が点在している。もらったリーフレットを片手に授与所の方に場所をお伺いして行ってみた。
花泉(はなのい)

境内外西側、授与所の裏側あたりにある。社伝によれば、倭迹迹日百襲姫が御手を洗われた所。
 
袂井(たもとい)

境内外東側、東側の境内出入口の近くあたりにある。倭迹迹日百襲姫が御来臨のおり、食事後に熱病にかかり、侍女が袂を浸して水を奉った井。
 
休石

境内外東方約100m、田の中にある。脇の碑には「倭迹迹日百襲姫命腰掛石」とある。
さらに本社南方約2km、御旅所の跡で「天降」と称される場所がある。現在高松市香川町大野にある天降神社がそれで、田村大神が示顕せられた由緒深い地である。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
高松琴平電鉄琴平線一宮駅から参道最南端まで約400m、拝殿まで約850m。拝殿までは徒歩約10分程度の位置に鎮座。南側周辺は住宅地、生活道路の狭い道だが、北側は幹線道からの乗り入れが可能。
駐車場=境内北側に無料駐車場。駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
境内社、境内外史跡を含めて参拝は約90分程度の見込み。
御朱印は社務所にて常時受け付けていると思われる。
[作成日]2016年4月11日
[更新日]2016年4月11日
[参考]  ・式内社調査報告 ・神社リーフレット
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