所在地: | 香川県高松市牟礼町牟礼1813 [地図] |
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御祭神: | 少彦名命 |
公式頁: | |
社格等: | 元慶元年(877)4月7日 松井神 従五位下 三代実録 |
松井神社
まついじんじゃ
参拝日:2014年10月20日
朝から不安定な天候の中、自転車を本降りにならずにたどりつき、船山神社からは自身の雨レーダーではもう降らないと確信できている。
船山神社からの道中にうどんで腹ごしらえしてからの到着時間は13時頃。 八栗山のふもと、琴電踏切あたりからの道を登ったが、そこそこな坂道でママチャリでは少し疲れた。 ぐるっと当社まで足を伸ばしたのは、うどんの「山田屋」さんに行くためもある。
香川県高松市牟礼町に鎮座。境内の由緒書は、
当社は、今の産土社白羽神社より以前に氏神としてまつられたものらしい。
三代物語には、仁和2年(886)菅家此の邦の守となり、都より讃岐の牟礼の地に来遊されたので里人は祠を建て菅公を祀った。
又、三代実録に元慶元年(877)4月7日戊寅、讃岐国正六位上松井神従五位下を授くとある。
ここより約百米西に菅原道真公に供した「松井泉」あり。
とある。三代物語には、仁和2年(886)菅家此の邦の守となり、都より讃岐の牟礼の地に来遊されたので里人は祠を建て菅公を祀った。
又、三代実録に元慶元年(877)4月7日戊寅、讃岐国正六位上松井神従五位下を授くとある。
ここより約百米西に菅原道真公に供した「松井泉」あり。
この由緒書からは菅原道真を祀った社のように読み取れるが、そうではないようである。
また社名から三代実録に元慶元年(877)4月7日、従五位下奉授の記載のある「松井神」であるとも書かれている。
祭神は少彦名命。『讃岐国官社考証』(1877)には、豊田郡萩原村の井上大明神(現在観音寺市大野原町萩原の井上宗像神社)が古くは松井神社と称していたことと、三木郡牟礼村の松居天神(当社のこと)の両社を「松井神」の論社としてあげられている。
明治時代前半期には菅原道真を祀っていたようである。
また境内社として金刀比羅宮と地神社、合併神社として勝仁社(野槌神)、東仙社(大山津見神)、龍神社(天水分神、国水分神)とある。牟礼町史の記載に龍神社に続けて源氏が峰とあり、龍神社の旧社地が源氏が峰山頂にあったということだろうか。
琴電八栗駅から北東方向、琴電の踏切を渉った後は、スーパーマルヨシセンターのある道を登っていく。道は途中分岐するが、なんとなく道なりに進んでいくと到着する。
参道に沿って長細い境内。境内入口の鳥居から社殿まで一直線で、参道には二つの鳥居が建つ。拝殿、本殿すべて南西に面している。境内社は本殿の左右域に鎮座している。
ちなみに「山田屋」さんへは一旦麓まで降りて、再度太ももを酷使して到着。帰宅して地図を見て「そのまま北方向に行けるんだった」と自分の浅はかさにトホホ。
一の鳥居
白く真新しい鳥居。平成11年境内整備の際に新調された。この鳥居の手前、トップ画像の石灯籠には天保14年(1843)銘。
二の鳥居
拝殿への階段
拝殿
切妻造平入の拝殿。
社殿全景
拝殿、弊殿、本殿連結式の社殿。
本殿
金刀比羅宮
本殿の左側に鎮座。
地神社
本殿の右側に鎮座。台座に慶応2年(1866)銘。
小石祠
祭神不明の小石祠四宇。あるいは合併神社の四柱か。金刀比羅宮の右側に鎮座。
境内からの眺望
拝殿から参道を見る。牟礼の町を眺めることが出来る。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
高松琴平電鉄志度線八栗駅から北東方向、直線距離で1.3km、徒歩約15分。駐車場=なし。駐車=バイク△、自動車×。付近の車通りは少ない。
徒歩、バイク、自動車では容易に到着できる。
境内社を含めて参拝は短時間で行える。
[作成日]2016年4月13日
[更新日]2016年4月13日
[更新日]2016年4月13日
[参考]
・境内由緒書 ・牟礼町史