所在地: | 高松市仏生山町甲1147 [地図] |
---|---|
御祭神: | 倭迹迹日百襲姫命、彦五十狭芹彦命、猿田彦命、天隠山命、天伊田根命 |
公式頁: | |
社格等: | 元慶5年(881)11月14日 船山神 従五位下 三代実録 |
船山神社
ふなやまじんじゃ
参拝日:2014年10月20日
この日の参拝の足はママチャリ。田村神社参拝時に雨が降り出したが、田村神社参拝終了時には再び雨は小康状態に。ここまで不安定な天候ながら本降りにならずにたどりついた。
到着時間は11時30分、空を見上げて「雨は持ちそうだな」と「讃岐うどん食べたいな」と思っていたのを思い出す。
香川県高松市仏生山町に鎮座。三代実録に元慶5年(861)11月14日、従五位下奉授の記載のある船山神に比定されている古社。
境内由緒書によれば、創建は天平年間、船岡山山頂に鎮座。船岡山周辺の地は百相(もまい、ももなみ等)と呼ばれ、御祭神倭迹迹日百襲姫命にちなんだものであるという。
戦国期、長曽我部氏の進出による戦火により社殿を喪失したが、その後神宮寺(一説には田村神社の)のあった現在地に再興された。以来神宮寺大明神と称する。
明治元年(1868)に百相神社、大正5年(1916)現在の船山神社と改称。
御祭神の五柱は田村神社と同じ。
倭迹迹日百襲姫は第七代孝霊天皇の皇女、讃岐へ派遣され安堵の浦(東かがわ市引田町)に上陸、水主神社の地から船岡山へ、後に田村神社の地へ移り宮を営んだという。
彦五十狭芹彦命は吉備津彦で、倭迹迹日百襲姫の弟、吉備平定後周辺にも影響力を及ぼしたとされる。前掲した水主神社、田村神社も倭迹迹日百襲姫命が祭神となっており、吉備津彦信仰圏である讃岐国では、姉神の倭迹迹日百襲姫命を水神と結びつけた信仰へと変遷していったようである。
国道193号線、通称空港通りと東側を平行している県道280号線沿いから境内が見渡せわかりやすい。琴電の踏切から約500m南。
県道280号線沿いに駐車場から境内への入口がある。そこから一つ南の道を西に入ると境内正面の参道。
境内までの参道には鳥居、神門と建ち並び、境内参道には注連縄柱、拝殿、本殿と一直線すべて南面している。
参道と鳥居
参道周囲は住宅地、左側の駐車場は記憶では月極だったので、参拝は県道沿いを利用する。
参道鳥居の扁額
船山大明神とある鳥居扁額。
神門
境内入口の神門。
境内参道と注連縄柱
きれいに清掃されている境内。地元に大切にされている神社であることがわかる。有り難く参道を進む。
拝殿
入母屋造平入の拝殿。拝殿前の石灯籠に宝暦9年(1759)銘。神宮子神社と刻まれており、その字をあてていた時期もあったようである。
拝殿
拝殿の社名扁額
本殿
春日造の本殿はコンクリート垣の上にある。
社殿全景
拝殿と弊殿は連結式で、弊殿と本殿の間は階段の覆屋であろうか。
境内社は主に境内域の西側に小石祠が二宇と地神社、本殿周囲に二宇が鎮座している。
地神社
五角形に整形した石柱のもの。
船山神社のクス
本殿の東側に香川県指定天然記念物のクス。木の根本に小石祠。
祭神不明の小石祠
本殿脇の小石祠
内部に永井大明神とある。
百相廃寺の説明板と石碑
石碑には、船山神社別當寺鐘楼古跡、とある。
百相廃寺の説明板概略
船山神社境内及び周囲からは讃岐国分寺と類似した瓦の出土があり、8世紀半ば建立の寺院跡と考えられている。詳細は不明だが、寺院に関連した地名は周囲に多く残り、この寺が田村神社の神宮寺であったと考えられる。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
高松琴平電鉄琴平線空港通り駅から南方向へ約800m、徒歩約10分。駐車場=4台程度の駐車スペースあり。駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩、バイク、自動車では容易に到着できる。
境内社を含めて参拝は短時間で行える。
[参考]
・境内由緒書
[作成日]2016年4月12日
[更新日]2018年2月21日
[更新日]2018年2月21日