所在地: | 香川県坂出市府中町乙5116 [地図] | |
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御祭神: | 崇徳上皇 | |
公式頁: | ||
社格等: |
鼓岡神社
つづみがおかじんじゃ
参拝日:2014年11月4日
香川県坂出市府中町に鎮座。JR讃岐府中駅から北西へ直線約640m、城山西麓ののどかな古道の雰囲気の道沿い。附近の北東の地は讃岐国府があった場所。
平安時代末期、保元の乱の敗北により讃岐に配流となった崇徳上皇の行宮「木の丸殿」の在った場所。長寛2年(1164)崩御までの6年余りを過ごした。
『全讃史』によると当所「鼓ヶ丘」は前方後円墳で、日本武尊の皇子で讃岐綾君の始祖、武殻王の墳墓であるという。
崇徳上皇の崩御後、後白河上皇の近侍であった阿闍梨章実が木の丸殿御所を白峰御陵に移した後、建久2年(1191)崩御の地である当地に祠を建立したのがの草創と伝わる。
城山東麓の微高地によって綾川が湾曲して流れる西側の地。集落を南北に通る道沿いに境内への階段と脇に社号標。鳥居、社殿は全て東面する。都の方角を意識しているのだろうか。
境内への階段
社号標には「崇徳上皇行在所 鼓岡神社」とある。
参道の鳥居
階段を登った一旦踊り場のあたりに参道鳥居。
拝殿
さらに登ると拝殿。境内入口からそんなにかからない。
本殿
春日造り、であろうか。
境内に崇徳上皇にまつわる史跡や石碑がある。また境外にも遺跡があるが行けていない。
崇徳院御製碑
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わむとぞ 思う
杜鵑塚
鳴けば聞き 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす
境内由緒書
鼓岡神社由緒
当社地は、保元平治の昔、崇徳上皇の行宮木の丸殿の在ったところで、長寛2年(1164)8月26日崩御されるまでの6年余り仙居あそばされた聖蹟である。
建久2年(1191)後白河上皇近侍阿闍梨章実、木の丸殿を白峰御陵に移し跡地に之に代えるべき祠を建立し上皇の御神霊を奉斎し奉ったのが鼓岡神社の草創と云はれている。
伝うるに上皇御座遊のみぎり、時鳥の声を御聞きになり深く都を偲ばせ給い、
鳴けば聞き 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす
と御製された。時鳥 上皇の意を察してか、爾来この里では不鳴になったと云はれている。
境内には、木の丸殿、凝古堂、観音堂、杜鵑塚(ほととぎす塚)、鼓岡行宮旧址碑、鼓岡文庫などがあり、附近には内裏泉、菊塚、ワン塚(*)などの遺跡がある。(*)ワンは怨の心の部分が皿
当社地は、保元平治の昔、崇徳上皇の行宮木の丸殿の在ったところで、長寛2年(1164)8月26日崩御されるまでの6年余り仙居あそばされた聖蹟である。
建久2年(1191)後白河上皇近侍阿闍梨章実、木の丸殿を白峰御陵に移し跡地に之に代えるべき祠を建立し上皇の御神霊を奉斎し奉ったのが鼓岡神社の草創と云はれている。
伝うるに上皇御座遊のみぎり、時鳥の声を御聞きになり深く都を偲ばせ給い、
鳴けば聞き 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす
と御製された。時鳥 上皇の意を察してか、爾来この里では不鳴になったと云はれている。
境内には、木の丸殿、凝古堂、観音堂、杜鵑塚(ほととぎす塚)、鼓岡行宮旧址碑、鼓岡文庫などがあり、附近には内裏泉、菊塚、ワン塚(*)などの遺跡がある。(*)ワンは怨の心の部分が皿
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR予讃線讃岐府中駅から境内入口まで約800m、徒歩約10分程度。駐車場=なし。
駐車=バイク△、自動車×。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
境内社を含めて参拝は短時間で行える。
神職は社務所に常駐していないので、御朱印は別途問い合わせが必要。
[作成日]2016年5月16日
[更新日]2016年5月16日
[更新日]2016年5月16日
[参考]
・境内由緒書 ・式内社調査報告