所在地: | 香川県丸亀市郡家町八幡下2337 [地図] | |
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御祭神: | 天穂日命 相殿:譽田天皇、武内宿禰大臣、氣長足姫命、仲姫皇后、中臣烏賊津臣命、須佐之男命、猿田彦命、武甕槌神、軻遇突智命、經津主命、大國主命 |
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公式頁: | ||
社格等: | 元慶5年(881)11月14日 | 万濃池神 従五位下 三代実録 |
延喜式内社 讃岐國那珂郡 神野神社 |
神野神社
かんのじんじゃ
参拝日:2014年11月10日
神野神社は先週に飯野山の後に訪問し参拝していたのだが、その時は一日の最後で疲労してあまり集中力がなく、撮影もうまくできてなかったので再訪した。まずは当社御旅所でもある皇子神社に8:00過ぎに到着。
香川県丸亀市郡家町に鎮座。郡家は郡衙があったことからの地名。式内社、讃岐國那珂郡神野神社の論社の一つ。JR土讃線金蔵寺駅から東へ直線約2.8km。県道4号線郡家町交差点から南へ300mに西側に石造りの立派な社号標と鳥居がある。また東へは御旅所でもある皇子神社への参道。この両社は直線の道で相対している。また郡家町交差点の県道18号線沿いは国府から続く南海道であったとも言われる。
社伝は継体天皇2年(508)の鎮座という。
又、或いはとして、伊豫国神野郡から久留島某(和気氏の一族)が当地に移住、その祖神伊曾乃神社を勧請したことを創祠とする。
綾大領多郡君に神託があり社殿を再築し、推古天皇5年(596)郡家の戸主酒部善里が八幡神を相殿に祀って以降、神野八幡宮と称する。
『善通寺市史』には酒部善里は讃岐の因支首身とする説を引いている。因支首の祖は景行天皇皇子武国凝別皇子で、伊豫の御村別君の祖ともいう。その子孫、忍尾別君が伊豫から讃岐へ来て因支首の女性を妻とし、その子が母方の姓を名乗ったという。となれば、忍尾別君の讃岐入国以前に因支首を名乗る豪族がいたとしている。
『新修香川縣史』では因支首身は忍尾別君の4世孫との説がある。
他説には日本武尊の皇子で綾君の祖、武殻王の9世孫。酒部公とは景行天皇の皇子神櫛別命の裔とも。
いろいろあってよくわからないのだが、神社は景行天皇の三人のいずれかの皇子の流れを汲み、伊豫国との関わりがあるらしい。
そして現在の祭神は天穂日命となっている。出雲系の神の登場で、またよくわからなくなる。
別の説に伊賀古夜姫があり、伊豫国神野(新居)郡加茂郷に在る伊曾乃神社の勧請に関連したものか?
その伊曾乃神については痕跡がない。伊曾乃神社勧請説は、伊豫の氏族移住の伝承から派生しただけで、特に根拠があるわけではないような気がしてきた。
県道4号線に面して境内入口の鳥居。まっすぐの参道の先に神門、神門をくぐると境内は広く、さらに直線上に社殿、その前に四角い舞台。規模の大きな境内社は神門手前の北側に由賀神社と神門と社殿の間の南側に粟島神社。その他の境内社は境内の北側域にある。また御旅所でもある皇子神社が双方をつなぐ参道で正対している。両社社殿の距離は約400m。その長い直線参道は壮観。
境内入口
立派な社号標が目を引く。
参道
本社と皇子神社の中間点あたり。御輿を置く台座がある。
参道の鳥居
鳥居扁額に「神埜神社八幡大神」。狛犬の台座に文政10年(1827)銘。
参道
鳥居をくぐった先の参道
神門
八幡宮と刻まれた扁額と電灯カバーに神野神社正八幡宮の文字。
拝殿
入母屋造、千鳥破風唐向拝付き。手前に舞奉納の舞台。社叢に囲まれた拝殿で今日の参拝旅の安全を祈願。
拝殿
本殿
境内
右側には境内社が並んでいる。
境内社は参道北側に由賀神社、境内参道南側に粟島神社の他、境内北側に少祠の境内社が建ち並ぶ。由賀神社以外は2014年11月4日16時台の撮影、記憶の限り東側から掲載。
由賀神社
粟島神社
流造の本殿がある。
恵比寿社
今八幡宮鳥居
今八幡宮
領家荒神社
藤湯戸荒神(左端)と境内社
境内社
那珂荒神社
境内社
境内社
原荒神社
地神社
小石祠群
御旅所でもある皇子神社が両社をつなぐ約400mの参道で正対している。
皇子神社境内入口
拝殿
本殿
八代荒神鳥居
社殿
後方に讃岐富士、飯野山。
皇子神社社殿
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR土讃線金蔵寺駅から境内入口まで約3.8km、徒歩約50分程度。周辺は田園集落、生活道路の狭い道だが、乗り入れは可能。駐車場=なし。
駐車=バイク△、自動車×。
徒歩、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
境内社、皇子神社を含めて参拝は約20分程度の見込み。
境内には社務所があるが、訪れた時間が早朝と夕方のため常駐しているのか未確認。
[作成日]2016年5月23日
[更新日]2016年5月23日
[更新日]2016年5月23日
[参考]
・式内社調査報告 ・古代諸国神社神階制の研究