所在地: | 香川県仲多度郡琴平町892-1 [地図] | |
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御祭神: | 大物主神、相殿:崇徳天皇 | |
公式頁: | http://www.konpira.or.jp/ | |
社格等: |
貞観元年(859)正月7日
貞観2年(860)5月20日 |
雲気神 従五位下、列於官社 三代実録 雲気神 従五位下、列於官社 三代実録 |
延喜式内社 讃岐國多度郡 雲気神社 明治4年国幣小社 明治18年国幣中社 別表神社 さぬき十五社の一社 |
金刀比羅宮
ことひらぐう
参拝日:2014年11月10日
金刀比羅宮は2度目の参拝。僕がはじめて御朱印を頂戴した神社が当社なので思い入れも深い。
香川県仲多度郡琴平町の象頭山(琴平山)東の中腹に鎮座。石段の始まる参道入口へはJR琴平駅から南西へ直線約650m、琴電琴平駅から南西へ直線約500m。参道の登り口を扇の要の位置にして象頭山東麓に賑やかな門前町が広がっている。県道282号線琴平街道の祓川橋西詰、登り口から約2.5kmには大鳥居がある。
創建の詳細は不明である。大物主神を早くから祀り、はじめは琴平の宮と称していたらしい。長保3年(1001)には藤原秋時によって社殿など修築し神社の体裁を整えたと伝わる(『全讃史』)。
また大宝年間の創建と伝わる松尾寺に金毘羅が鎮守神として祀られていたとも言われる。寺伝には南北朝期に松尾寺金比羅堂と称されたという記載がある。
起源が神仏どちらかは不明であるが、松尾寺に祀られた金比羅の神が霊験あらたかであるとして大いに信仰され、近世までは松尾寺の金光院に祀られていた。
金比羅とは、薬師如来の眷属、十二神将の宮毘羅大将または金比羅童子にあたる。金比羅の原語はクンビーラ、サンスクリットで鰐魚の意、ガンジス川に棲む鰐の神格化、転じて仏法の守護神となる。鰐の神は水神であり、海上交通の神、祈雨の神として、琴平の神と垂迹し金毘羅大権現として朝野の信仰を広く集めていた。
金刀比羅宮を式内社の雲氣神社に比定する説もある。金比羅の「コン」を「クム(雲)」、「ピラ」を「ヒラ(く)」とし、雲開くの意が瀬戸内海の航行を守護するとの考えである。しかし前述の金比羅=クンビーラの説があり、更に当社によっても式内社雲氣神社の主張がなされることはないようだ。
主祭神である大物主神は、古事記では大国主神の和魂、日本書紀では大国主神の別名とされ、国土開拓の神。社伝には中国四国九州地方の国土経営にあたって、本拠地を当地に選んだとされている。
相殿の崇徳天皇は保元の乱の敗北によって讃岐に配流となり、崩御までの8年の間にたびたび参詣したという。崩御後の永万元年(1165)崇徳天皇を本宮に合祀した。
讃岐のこんぴらさんといえば石段が思い浮かぶ。本宮まで785段、奥社までは更に583段を数える。江戸時代初頭から庶民の参詣によるにぎわいを見せ始め、江戸中期には航海の守り神として船乗り達によって神徳は各地に伝播し、江戸後期には参詣記などの読み物によって金比羅参りはブームとなり大阪淀屋橋からは毎日船便が出ていたほど。登り口に駕籠屋が客待ちしている情景はいまも変わらない。
また当時の参拝は金比羅講という互助組織によって、代表者を立てて行われることが多かったという。
参拝に行けない者は空の樽に「奉納金毘羅大権現」の幟を立て、樽には初穂料を納め、それを拾い上げたものが代参し奉納する「流し樽」の風習があり、これは現在も行われているらしい。
また「こんぴら狗」といって犬が旅人から旅人へ引き継がれ、飼い主に代わって犬が代参するという風習もあった。
石段の参道を登り始めるとまずは大門を目指す。大門の手前には大きな鼓楼があり、大門をくぐると一直線の参道、中央に石畳が敷かれている。左右には石灯籠と奉納玉垣が建ち並び、社域に立ち入ったと自覚、これまでの参道とは一線を画す。
本宮までの参道途中にはいくつかの境内社があり、おおよその参道順に祓戸社、火雷社、真須賀神社、御年神社、事知神社、下向道に大山祇神社、旭社が鎮座している。なかでも旭社は豪壮な重層入母屋造でひときわ目を引く。
本宮の南側(左側)には南渡殿(長廊下)でつながった三穂津姫社と、南渡殿をくぐって向かう睦魂神社が鎮座する。
奥社への参道は本宮の北側(右側)から延び、奥社道入口の鳥居が立つ。参道途中には常盤神社、白峰神社、菅原神社が鎮座。本宮から奥社厳魂神社へは20分ほどでたどりつく。
琴電琴平駅すぐの鳥居
金刀比羅宮北神苑入口の鳥居
琴電琴平駅の東側すぐにある。北神苑の高燈籠
1865年に完成。高さ約27mで、木造の燈籠では日本一の高さ。石段の参道入口
長い石段もまずはここから。大門
重層入母屋造の大門。多くの参拝者を迎えるのにふさわしい威厳がある。高松藩主松平頼重の寄進によるもの。大門の扁額
有栖川宮熾仁親王が揮毫したもの。大門手前の鼓楼
時刻を知らせる時太鼓を備える。宝永7年(1710)の建築。大門から参道
大門をくぐると五つの傘の下で金比羅飴を商う店がある。五人百姓と呼ばれ、古くから金毘羅大権現の神事に協力、境内での営業を許されている。桜の馬場の鳥居
桜の馬場と呼ばれる参道の鳥居。両側は桜並木。参道(桜の馬場)
石灯籠と奉納玉垣。中央は石畳。桜の馬場の二つ目の鳥居
参道
階段の先に書院。本宮へ一段高く上がる感じ。旭社手前の階段
木々の枝に少し隠れて旭社。階段前は広場の平坦地。祓戸社(右)と火雷社(左)
旭社手前の階段側から。祓戸社
祭神:瀬織津姫神、速秋津姫神、気吹戸主神 速佐須良姫神の祓戸四神火雷社
祭神:火産霊神、奥津比古神、奥津比賣神の竈神と八衢比古神、八衢比賣神、來名戸神を合祀。旭社(あさひのやしろ)
重層入母屋造の豪壮な建築は本社とも見紛うほど。華美な装飾も目を見張る。金刀比羅宮を参拝した森の石松は旭社の本社と間違え、ここで参拝して引き返してしまったという話しが残る。
一見して寺院風なのは松尾寺金堂であった建物のため。40年をかけ造立し、完成は弘化2年(1845)。
祭神は、天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大御神、天津神、国津神、八百万神。
社殿の右側に参道階段があるが、こちらは下向道。旭社と下向道にある大山祇神社は帰路に参拝するのがならわし。
旭社正面の長廊
賢木門へ向かう石畳参道。賢木門
扁額は有栖川宮熾仁親王の揮毫。遙拝所
賢木門をくぐるとすぐ右側にある。闇峠
遙拝所から数十歩の参道を暗峠と呼ぶ。鳥居の先は手水舎。真須賀神社
先の手水舎で右折し橋を渡った正面にある。祭神は建速須佐之男尊、奇稲田姫尊。
御前四段坂
真須賀神社の前から本宮への階段。石段は4段階に分かれている。御年神社
御前四段坂の中間点附近にある。祭神は大年神、御年神、若年神。
事知神社
御前四段坂を登り切る少し前にある。祭神は積羽八重事代主神、味鉏高彦根神、加夜鳴海神。
本宮拝殿
本宮社殿
大社関棟造と呼ばれる建築様式。
本宮拝殿からの廊下(南渡殿)
南渡殿は本宮と三穂津姫社をつなぐ渡り廊下。
睦魂神社
南渡殿をくぐって行く。立ち入っていいのかどうか一見わからないが、鳥居までは立ち入れる。祭神は大国魂神、大国主命、少彦名神。
三穂津姫社
南渡殿の南端にある。祭神は三穂津姫神。高皇産霊尊の娘で大物主神の后神。
厳島神社
三穂津姫社の向側に正対している。下向道の始点にある。祭神は市寸嶋姫尊。
神饌殿
本宮拝殿の北側(向かって右)にあり、北渡殿で本宮拝殿とつながっている。
神楽殿
御炊舎
絵馬殿
大山祇神社
祭神:大山祇神。本宮のある場所から旭社への下向道にある。金刀比羅宮奥社、厳魂神社
訪問日:2014年11月10日
本宮の北側の道を進むと鳥居があり奥社への参道が延びる。奥社までは更に583段の石段を登る。本宮までの参道とは違い、鬱蒼とした原生林の木陰の山道を進む。石段と平坦な道が交互になっていて、歩きながら休むといった感じで登っていく。奥社まで登る人は思っていたより少ない。
奥社への道標
右おくのやしろ道、とある。奥社参道の鳥居
本社から進むとまずこの鳥居をくぐる。常磐神社
参道から見た常磐神社。奥社参道の鳥居から約3分。常磐神社
祭神:武雷尊、誉田和氣尊白峰神社拝殿
常磐神社から約3分。白峰神社本殿
祭神は崇徳天皇。相殿:待賢門院(天皇の御母)、大山祇神。随神として源為義、源為朝、保元の乱で崇徳方についた武将。菅原神社
白峰神社から約2分。菅原神社
祭神:菅原道真。厳魂神社鳥居
菅原神社から約10分。最後の石段
厳魂神社拝殿
中門と本殿
厳魂彦命を祀る。厳魂彦命は戦国期に荒廃していた当社を中興した別当宥盛。威徳巖(いとくのいわ)
厳魂彦命、崇徳天皇の参籠の旧跡と伝わる。天狗とカラス天狗の彫物
威徳巖にある。金刀比羅宮中興の祖、別当宥盛は死の直前に神体を守るため天狗になったとの伝説があり、それにちなんだものだろうと思う。交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
石段の始まる参道入口へ、高松琴平電鉄琴平線琴電琴平駅から約650m、約8分。JR土讃線琴平駅から約900m、約10分。参拝は本宮まで785段、奥社までは更に583段あるので若干足を悩ませる。
駐車場=なし 駐車=バイク×自動車×。近隣の有料駐車場を利用しての参拝になる。
徒歩、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
参拝時間は奥社への往復、全ての境内社、祓川橋の大鳥居を含めて3時間程度(自転車利用)。
御朱印は本社・奥社ともに常時受け付けている。
[作成日]2016年6月16日
[更新日]2016年6月16日
[更新日]2016年6月16日
[参考]
・式内社調査報告 ・事典 神社の歴史と祭り(吉川弘文館) ・週刊神社紀行金刀比羅宮 ・神社辞典(東京堂出版)