八百万のかみのやしろ巡り(仮)
交通機関 | 宿泊施設 | 文  献
参拝記録→北海道・東北 | 関東 | 甲信越・北陸 | 東海 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州
延喜式内社→宮中京中 | 畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道
国史現在社→宮中京中 | 畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道
御朱印収集→北海道・東北 | 関東 | 甲信越・北陸 | 東海 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州
一の宮巡り→畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道

伊比良咩神社

いひらめじんじゃ

参拝日:2015年12月13日

伊比良咩神社
所在地: 徳島県板野郡藍住町徳命字前須西65 [地図]
御祭神: 阿比良比咩命・大己貴命・素盞鳴命
公式頁:
社格等: 貞観14年(872)11月29日 伊比良咩神 従五位下 三代実録

 
 吉野川下流左岸の平野部、徳島県板野郡藍住町徳命にある。徳島道藍住インターチェンジのそばで、周囲は畑が広がっている。薄曇りだが雲は高いので雨の心配はなく、12月らしいちょっとだけひんやりとした気候。10:30頃の到着。

 創建年代は不詳、三代実録の貞観14年(872)11月29日条に伊比良咩神従五位下の神階奉授の記事があるが、この伊比良咩神とされている神社。阿波国内では他に伊比良咩神を祀る神社はない。

 社伝によると、元はここより西の地区で旧吉野川右岸の一帯の東中富に鎮座していて、この地に遷ったのは江戸時代初期としている。
 『神祇志料』によると「板野郡奥野村にあり」とある。『神社覈録』には所在地の記載はない。
 『阿波志』には徳命村にある祠として、「八幡、天神、牛頭の他に弱宮」とあり(弱宮とは少祠のことか?)、また奥野村にある祠は「諏訪と弱宮」とあって、それぞれ伊比良咩の記載がないので、あるいは江戸時代には伊比良咩神社と名乗ることはなく、徳命村の八幡、天神、牛頭か奥野村の諏訪のいずれかがいまの伊比良咩神社の前身になるのかもしれない。
 資料がなく、後考に譲ることにする。

 社蔵品として中世に制作された伎面が伝承されていて、近世初頭まで伎楽が奉納されていたらしい。近世中期からは藍染が盛んになると社殿も改築され、現存する明和7年(1780)の棟札がそのことを示す。

 徳島道の高架がすぐ目の前にあり、畑と住宅が点在する地区にある。境内は玉垣で全周されており、鳥居から社殿まですべて東向き。鳥居から230mほどの地点に御旅所がある。境内社は祭神不明一社と阿波と讃岐に多い六角石柱の地神社がある。

境内入口の鳥居
 
鳥居の扁額
境内
鳥居から拝殿の線が若干盛ってある。いろんな木があり、葉が緑、紅、黄になっていた。
 
拝殿
入母屋造に向拝部も入母屋造を付けた形。そこに唐向拝がある。
本殿
石垣に乗り、軒も高い。入母屋造。
 
社殿
境内社
詳細不明。社殿の右側にある。手水鉢に宝暦10年(1760)銘がある。
 
地神社
讃岐、阿波によく見られる地神社。境内の南側にある。
 
御旅所
鳥居から東へ伸びる道をまっすぐ230mほど行った突き当りにある。鳥居は緑泥片岩の阿波青石を素材として珍しいとのこと。文化3年(1806)銘がある。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR高徳本線板野駅から南東へ約3.2km。徳島駅からバスがある。
参拝者駐車場=なし、駐車=バイク△自動車×。
板野駅から徒歩約45分。
参拝は御旅所を含めて約10分ほど。
境内には社務所はない。御朱印はないと思われる。
[作成日]2020年01月17日
[更新日]2020年01月17日
[参考]  ・境内由緒書 ・神祇志料 ・神社覈録 ・阿波志
©2018- 2024 日仮名湯栗(Higana Yukuri) All Rights Reserved. 当サイトの画像、テキストの無断転載を禁止します。