所在地: | 山口県下関市長府宮の内町1-18 [地図] |
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御祭神: | 仲哀天皇・神功皇后・応神天皇 |
公式頁: | http://iminomiya-jinjya.com/ |
社格等: | 貞観15年(873)12月15日 忌宮神 従五位上 三代実録 |
延喜式内社 長門國豊浦郡 忌宮神社 長門国二宮 明治6年県社 大正5年国幣小社 別表神社 |
忌宮神社
いみのみやじんじゃ
参拝日:2014年7月27日
山口県下関市長府宮の内町に鎮座。国道9号線の鳥居前交差点から当社までは商店が立ち並ぶ道。その突き当りが境内入口で鳥居が建っているがこちらは東側の参道。境内正面入口へは左方向に回り込むと鳥居がある。境内は周囲より一段高い。境内の広場を進むと神門、その先すぐに拝殿。これらの施設はすべて南面して建てられている。また神社前方の海にある満珠・千珠の二島は当社の神域で国の天然記念物に指定されている。
社伝によると、仲哀天皇が熊襲の反乱を平定するために皇居とした穴門豊浦宮の跡に、橿日宮で崩御した天皇の神霊を神功皇后によってこの地に奉斎したことが創祀。聖武天皇御宇の神亀年中(724-729)に神託によって香椎宮から神功皇后と応神天皇を奉遷して三座になったという。
仲哀天皇を豊浦宮、神功皇后を忌宮、応神天皇を豊明宮と称して三殿分かれて奉斎していたが、中世の火災により、忌宮に合祀された。
三代実録の貞観15年忌宮神に従五位上奉授の記事があり、これが文献上の初見。延喜式では長門國豊浦郡忌宮神社と記載。鎌倉時代には住吉神社に次ぐ神社として二の宮と呼ばれた。
境内に背の高い竹竿を立てていたのは、毎年8月7日から一週間行われる特殊神事の数方庭祭(スホウテー)の準備。この祭りは神功皇后の出陣及び凱旋の古式を伝える祭りといわれている。
境内入口の鳥居
数方庭祭の長竿が境内に立てられていた。
神門
社殿のある区画はさらにもう一段上がる。拝殿
両側の竿に「毛利家幟」「乃木家幟」とあった。長州やなぁと再実感。拝殿の社号扁額
本殿
東参道の鳥居
国道9号線から来るとここにたどり着く。
境内社は『式内社調査報告』によると本殿の左右に若宮神社、高良神社があり、他に八坂神社(合祀、八坂神社、春日神社、日吉神社、三島神社、印内神社、大歳神社二社、恵美須神社、人丸神社、貴船神社二社、塩竃神社、河内神社)と稲荷神社がある。
若宮神社
祭神仁徳天皇。本殿の左側。高良神社
祭神武内宿禰。本殿の右側。八坂神社参道の鳥居
八坂神社社殿
荒熊稲荷神社
社殿
参道の小祠
左から二社は稲荷社、もう一社も稲荷社と思う。
毎年8月7日から13日までの執り行われる特殊神事「数方庭」の準備中であった。見れてよかった。男子は幟を、女子は切籠と呼ばれる灯籠を吊した笹竹をもって、鬼石の周りを踊るもの。鬼石は撮影していなかった。幟にまぎれていてわからなかったのかな。。
数方庭祭の準備
数方庭祭の準備
神社辞典
忌宮神社の項
山口県下関市長府町。旧国幣小社(現、別表神社)。
仲哀天皇・神功皇后・応神天皇を祀っている。社伝によると、仲哀天皇2年に天皇と神功皇后が、熊襲平定のため造営し、7年間とどまられた穴門の豊浦宮の旧跡とされている。仲哀天皇は神の教えにしたがわなかったため筑紫の香椎で崩御なされた。皇后は天皇崩御を隠し、密かに遺骸を当地に移され、神託にしたがって新羅征伐を行った。帰国後、改めて天皇を豊浦宮に祀った。それが忌宮神社の創祀である。
その後、聖武天皇の時代に、筑前国香椎宮より神功皇后・応神天皇の分霊を勧請した。貞観15年(873)従五位上の神階を授かり、『延喜式』の小社である。忌宮神社は文武の神として朝廷・武将の信仰も篤く、鎌倉時代には、住吉神社に次ぐ神社として二の宮と呼ばれた。
当社には、毎年8月7日から一週間行われる数方庭祭がある。この祭りは、俗に幟舞とも呼ばれ、神功皇后の出陣及び凱旋の古式を伝える祭りといわれ、勇壮な行事である。
また、長府は長門の国府所在地であり、古代から近世にかけて政治・文化の中心地となっていた。
神社の前方には、当社の神域である満珠・千珠の二島があって、国の天然記念物に指定されている。
社宝には、『紙本墨書豊浦宮法楽和歌』 一巻・伝則宗刀一口・備州長船盛光太刀一口が国の重要文化財に指定されている。法楽和歌は足利尊氏らの筆になり、太刀は毛利元徳の寄進したものである。
仲哀天皇・神功皇后・応神天皇を祀っている。社伝によると、仲哀天皇2年に天皇と神功皇后が、熊襲平定のため造営し、7年間とどまられた穴門の豊浦宮の旧跡とされている。仲哀天皇は神の教えにしたがわなかったため筑紫の香椎で崩御なされた。皇后は天皇崩御を隠し、密かに遺骸を当地に移され、神託にしたがって新羅征伐を行った。帰国後、改めて天皇を豊浦宮に祀った。それが忌宮神社の創祀である。
その後、聖武天皇の時代に、筑前国香椎宮より神功皇后・応神天皇の分霊を勧請した。貞観15年(873)従五位上の神階を授かり、『延喜式』の小社である。忌宮神社は文武の神として朝廷・武将の信仰も篤く、鎌倉時代には、住吉神社に次ぐ神社として二の宮と呼ばれた。
当社には、毎年8月7日から一週間行われる数方庭祭がある。この祭りは、俗に幟舞とも呼ばれ、神功皇后の出陣及び凱旋の古式を伝える祭りといわれ、勇壮な行事である。
また、長府は長門の国府所在地であり、古代から近世にかけて政治・文化の中心地となっていた。
神社の前方には、当社の神域である満珠・千珠の二島があって、国の天然記念物に指定されている。
社宝には、『紙本墨書豊浦宮法楽和歌』 一巻・伝則宗刀一口・備州長船盛光太刀一口が国の重要文化財に指定されている。法楽和歌は足利尊氏らの筆になり、太刀は毛利元徳の寄進したものである。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR山陽本線長府駅から南へ直線約2.5km、徒歩約40分。下関駅から長府駅のバス路線の間。参拝者駐車場=あり、駐車=バイク〇自動車〇。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
参拝は約15分程度。
御朱印は授与所で常時受付のようす、念のため事前確認を。
[作成日]2019年12月22日
[更新日]2019年12月22日
[更新日]2019年12月22日
[参考]
・式内社調査報告 ・日本の神々 ・境内由緒書