八百万のかみのやしろ巡り(仮)
交通機関 | 宿泊施設 | 文  献
参拝記録→北海道・東北 | 関東 | 甲信越・北陸 | 東海 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州
延喜式内社→宮中京中 | 畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道
国史現在社→宮中京中 | 畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道
御朱印収集→北海道・東北 | 関東 | 甲信越・北陸 | 東海 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州
一の宮巡り→畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道

等彌神社

とみじんじゃ

参拝日:2011年5月25日

等彌神社
所在地: 奈良県桜井市桜井1109 [地図]
御祭神: 大日霊貴命
公式頁:
社格等: 延喜式内社 大和國城上郡 等彌神社
昭和15年県社
 
 2011年5月25日の参拝。大神神社をメインに周辺の神社を巡拝しようと出かけた日。大神神社の大鳥居から本社を参拝したあと、周辺の摂末社、素戔嗚神社惠比須神社志貴御縣坐神社水口神社穴師坐兵主神社相撲神社天照御魂神社粟殿の大神神社からの巡拝。桜井市街から談山神社や吉野方面をつなぐ県道37号線沿いに等彌神社の境内入口がある。14:20頃の到着。

 奈良県桜井市桜井の鳥見山西麓に鎮座。境内は鳥見山への登り口にもなっている。境内一帯は縄文晩期以降の複合遺跡で遺物も多数出土している。また旧社地といわれるいまの上津尾社の背後付近は祭祀にかかわる遺物が多く出土している。鳥見山のうちで等彌神社境内のある区域を能登山ともいい、中世から明治時代中頃までは能登宮と称されていた。延喜式内社等彌神社の比定社。

 創建年代は不詳、社蔵の文書によると、元は鳥見山中に鎮座していた(一説には上津尾社の背後)が、天永3年(1112)長雨による山崩れで社殿が埋没したため、現在地に遷座したという。明治8年に再建の記録がある。
 明治8年以前はいまの下津尾社が信仰の中心だったらしい。ということは天永3年はいまの下津尾社の場所に遷座し、明治8年に上津尾社が再建され、本社も上津尾社に遷座されたということだろうと思う。

 祭神は上津尾社に大日霊貴命(天照大神)、上津尾社は別に饒速日命とする説もある。(『特撰神名牒』『神祇宝典』)
 下津尾社には春日造の社殿が2棟立ち並び、春日神社(天児屋根命)、八幡神社(品陀別命)を祀る。春日神社は元は高皇産霊神を祀って結びの宮といわれていた。また八幡神社は磐余明神といわれていた。

境内入口
県道37号線沿いにある。社号標には「懸社等彌神社」とある。
 
境内参道
少しずつ階段で上がっていく。鳥見山への登山口にもなっている。
境内参道の一の鳥居
 
境内参道
こちらの社号標には「式内等彌神社」。
下津尾社への参道と鳥居
 
下津尾社拝殿
下津尾社本殿
春日造の本殿2棟が並ぶ。左側が春日神社、右側が八幡神社。
 
上津尾社への参道
上津尾社
入母屋造に入母屋造の向拝部がある。社殿背後の旧社地の推定地も見ておくんだった。。
 
上津尾社
下津尾社から道なりに進むと画像右側の鳥居から上津尾社境内に入ることになる。下津尾社から一旦戻って正面からの参道もある。
等彌神社には境内入口から参道、上津尾社、下津尾社周辺と多くの境内社が点在している。わかる範囲で回っているので、参拝した順に掲載してみる。
市杵島姫社
境内地図に市杵島姫社とあるが、祭神記載の立札には意富加牟豆美命とある。境内入口からすぐ左の場所。
 
猿田彦大神社
下津尾社入口の手前。
恵美須社
下津尾社境内。
 
金比羅社
下津尾社から上津尾社への脇参道沿い。
愛宕社
下津尾社から上津尾社への脇参道沿い。
 
弓張社
上津尾社境内北側。
稲荷社鳥居
 
稲荷社
上津尾社から鳥見山への登山道沿い。この先に黒龍社があるが、行けていない。
護国神社鳥居
等彌神社入口の一つ北側の道が護国神社参道。
 
護国神社拝殿
 
護国神社本殿
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR桜井線桜井駅と近鉄大阪線桜井駅から南東へ直線距離約1km。
参拝者駐車場=あり 駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
参拝は約20分ほど。
御朱印を頂いていないので未確認。要事前確認。
[作成日]2019年12月17日
[更新日]2019年12月17日
[参考]  ・式内社調査報告
©2018- 2024 日仮名湯栗(Higana Yukuri) All Rights Reserved. 当サイトの画像、テキストの無断転載を禁止します。