所在地: | 大阪府大阪市城東区成育5丁目15-10 [地図] |
---|---|
御祭神: | 須佐之男尊 |
公式頁: | |
社格等: | 明治5年村社 |
須佐之男尊神社
すさのおのみことじんじゃ
参拝日:2013年7月9日
大阪市城東区に鎮座。国道1号線関目5交差点から分岐する都島本通り沿い、関目5交差点から西進約300mの位置。都島本通りからは本殿の後部が確認できる。都島本通りから少し南に入った所に南面して鳥居がある。
当社は大阪築城の際、その防御策の一つとして関目周辺の街道(京街道)を屈折させて敷設し、それに併せて、大阪城の鬼門の方角にあたるということから、武神の須佐之男尊、鬼門鎮護として毘沙門天を祀る少祠が建立されたことに始まるいう。関目周辺の街道の屈折は「七曲がり」と称され、現在も都島本通りを夾んだ当社の対面の道路の蛇行はその名残。
境内に関目発祥の地の碑があり、古代から中世にかけての荘園「榎並荘」の頃からの地名である。この地に見張所 (目で見る関所)があったことから起ったと言われている。
鳥居と社号標
鳥居は南向き、境内は都島本通りを背後にする。社号標は通称の関目神社。鳥居扁額は正式名の須佐之男尊神社。
拝殿
鳥居から石畳の参道、その先に入母屋造りの拝殿。本殿
境内入口の由緒書には本殿は流造りとの記載があったが、入母屋造りに見える。あるいはこの中に格納されているのだろうか。本殿背後が都島本通り。毘沙門天社
本殿左側の毘沙門天社。
境内西側の境内社
境内社の祭神は不明。右側には明治天皇の御駐輦之趾の碑。
関目発祥之地の碑
境内参道の左側にある。
本殿裏に祀られる巨石
境内由緒書
須佐之男尊神社 通称 関目神社
一、御祭神 須佐之男尊 境内社 毘沙門天王
一、由緒 当地の氏神様であります関目神社は、天正8年豊臣秀吉が大阪城築城の際、防備の一策として関目から古市森小路の間十余町の道路を特に屈折させて(俗に七曲りという)敵兵の進軍を俯瞰し、その軍容兵数を察知するのに便利なようにした。これと同時に北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り、崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として、毘沙門天王を勧請して小祠を建立したことに始まる。
一、本殿 当社の本殿は流れ造りで昭和52年に再建。境内社である毘沙門天王社は昭和60年に再建。また、関目神社氏子会館は平成13年に新築。
一、御祭神 須佐之男尊 境内社 毘沙門天王
一、由緒 当地の氏神様であります関目神社は、天正8年豊臣秀吉が大阪城築城の際、防備の一策として関目から古市森小路の間十余町の道路を特に屈折させて(俗に七曲りという)敵兵の進軍を俯瞰し、その軍容兵数を察知するのに便利なようにした。これと同時に北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り、崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として、毘沙門天王を勧請して小祠を建立したことに始まる。
一、本殿 当社の本殿は流れ造りで昭和52年に再建。境内社である毘沙門天王社は昭和60年に再建。また、関目神社氏子会館は平成13年に新築。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
大阪メトロ谷町線関目高殿駅、今里筋線関目成育駅、京阪本線関目駅からそれぞれ徒歩5分以内。境内背後は幹線道に面していて、道路から本殿を確認できる。鳥居は少し南に入った場所に建つ。
駐車場=なし 駐車=バイク〇自動車×。境内入口周囲に駐車すると交通に支障有り。
徒歩、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
参拝は短時間で行える。
境内の社務所は常駐しているようす、御朱印も受け付けていると思われる。
[作成日]2016年11月18日
[更新日]2016年11月18日
[更新日]2016年11月18日
[参考]
・境内由緒書 ・大阪府全志