八百万のかみのやしろ巡り(仮)
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皇大神宮

こうたいじんぐう

参拝日:2013年7月3日

皇大神宮
所在地: 大阪府大阪市城東区今福南2-12-31 [地図]
御祭神: 天照皇大神
公式頁: http://www.eonet.ne.jp/~koutaijingu/
社格等: 明治5年村社

 
 2013年7月3日午前の参拝。この日は当社と若宮八幡大神宮(共に城東区内)を自転車でちょい軽で回った日。
 大阪市城東区に鎮座。国道1号線蒲生4丁目交差点から直線距離で南東約500mの位置で周囲は昔ながらの住宅街、大阪の下町という風情。
 蒲生4丁目交差点からを南へ進み、寝屋川に架かる新喜多大橋北詰を東に伸びる府道168号線から一つ北側の道沿い、南向きに鳥居が建っている。
 鳥居、拝殿、本殿は南向き、境内社は本殿東側南向きに小女郎稲荷社と天満宮が立ち並ぶ。境内東側には西向きに今福恵比須社。

 境内の由緒書掲示板によれば、創建は平安時代末期に当社近辺が今福村として開発された時期で榎並荘一帯の氏神であったが、時代が進み、榎並荘各村の人口増加によって村毎に産土神を祀るようになり、今福村の産土神となったという。
境内入口の鳥居

鳥居には正徳2年(1712)銘がある。鳥居の脇に社号標。当社のすぐ南には寝屋川が流れる。かつての堤防上は古堤街道。
 
拝殿

鳥居から拝殿まですぐ。境内はそんなに広くない。鳥居と拝殿の間には注連縄柱が建つ。
拝殿

拝殿前の石灯籠一対に寛政6年(1794)銘。拝殿脇には天保3年(1832)銘の古堤街道に建てられていた道標もある。
 
本殿

流造の本殿。
小女郎稲荷社
 
 
境内由緒書によると「大和の源九郎稲荷、和泉の葛葉稲荷と共にこの河内の小女郎稲荷が近畿の三稲荷の一つとして特に沢山の信者がある」とある。
 大和郡山市の源九郎稲荷と、和泉市信太の葛葉稲荷(信太森葛葉稲荷神社)は現在も存続しているが、河内の小女郎稲荷は、新喜多東2丁目付近、狐山にあった社で、『摂津名所図会』(寛政年間刊行)には、多くの参詣者で大いに賑わっていたことが紹介されているという。
 鴫野や天王田あたりでは小女郎稲荷社にまつわる祭りが昭和初期まで執り行われていた話が残っている。
 小女郎稲荷社がいつ当社境内に遷されたのかはよくわからない。
天満宮
 
今福恵比須社
 
拝殿上の少祠

行者尊

鳥居の東側すぐにある。役行者を祀る。
 
弁財天社と吉松彦七稲荷社

鳥居正面すぐに二社並んでいる。右が弁財天社、左が吉松彦七稲荷社。
 
行宮

周囲を走っていて偶然見つけた行宮。詳しい場所はよく覚えていない。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
 大阪メトロ今里筋線・長堀鶴見緑地線蒲生四丁目駅から約800m、徒歩10分程度の位置に鎮座。
 周辺は住宅地の狭い道だが、道に迷うことはない。駐車場はないが、交通量の多い場所ではないので自動車1台程度なら、短時間の駐車はできそう。
 駐車場=無し 駐車=バイク〇自動車△。
 徒歩、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
 境内社を含めて参拝は短時間で行える。
[作成日]2016年11月18日
[更新日]2016年11月18日
[参考]  ・境内由緒書 ・大阪府全志
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