所在地: | 大阪府大阪市平野区長吉長原2-8-23 [地図] |
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御祭神: | 長江襲津彦命、(配祀)事代主命 |
公式頁: | https://www.shikinagayoshi-jinjya.org/ |
社格等: |
貞観元年(859)正月27日 志紀長吉神 従五位上 三代実録 延喜式内社 河内國志紀郡 志紀長吉神社二座 並大 月次新嘗 明治5年郷社 |
志紀長吉神社
しきながよしじんじゃ
参拝日:2019年9月1日
大阪府大阪市平野区長吉長原に鎮座。長原駅の西側出口付近の交差点から約250mあたりの交差点に参道の大きな鳥居が立っていて、そこから北方向へ200m参道が伸びている。
創建年代は不詳。三代実録貞観元年(859)志紀長吉神に従五位上奉授の記事があり、延喜式では河内國志紀郡志紀長吉神社二座でともに大社、月次新嘗の幣帛に預かった古社。江戸時代は日蔭大明神と称し、牛頭天王を祀っていた。
主祭神の長江襲津彦命は武内宿禰の子、長江襲津彦命を祖とする山口朝臣・道守朝臣・的臣・布忍首・鹽屋連・小家連などの諸族が当地に居住していて、その祖神を祀ったとされる。住吉(すみのえ)の例もあり、長吉も元は「ながえ」と訓んでいたとも考えられる。
平城天皇の大嘗祭の際、当社の東六丁の宝田の地の日蔭蔓を奉り、大同4年(809)平城天皇より日蔭大明神の神号を授けられたという。当社の神紋は日蔭の蔓。いまでも日陰明神という呼び名は残っているようだ。宝田の地は志紀長吉神社末社跡として現存している。
『河内國式神私考』は祭神を天宇受売神・草野比売神としている。天の岩戸の説話で天宇受売神が神がかりした際、天香山の天日蔭をたすきにしていたことから。草野比売神は日蔭蔓の生育の神としてのことであるから。
祭神の別説は『神祇志料』の高御産霊命・拷幡千々媛命もあり、これは河内志貴縣主が奉斎する故という。
慶長20年(1615)大坂夏の陣の際、真田幸村は当社に戦勝を当社に祈願し、軍旗と刀を奉納したという。刀は戦後没収されたが、軍旗は社宝として保存されている。一の鳥居近くに、真田幸村休憩所の碑がある。
一の鳥居から、拝殿、本殿は全て南向き、社殿の西側に境内社の琴平社と稲荷社がある。
参道の一の鳥居
石灯籠に寛保2年(1742)銘がある。境内入口の二の鳥居
二の鳥居の扁額
境内参道
拝殿
コンクリート製の切妻造り拝殿
切妻の向拝付き、どっしりとした印象。本殿
神明造り。本殿
後方から。琴平社
稲荷社
一の鳥居から南すぐの場所に真田幸村休憩所の碑がある。
5円硬貨6枚並べたお賽銭があった。
入口
真田幸村休憩所の碑
長原駅から東へ300mに長吉東部中央公園があり、その北端に志紀長吉神社末社跡がある。ここに生えていた日蔭蔓を平城天皇大嘗祭に奉納した。
大阪府大阪市平野区長吉長原東2-6 [地図]
大阪府大阪市平野区長吉長原東2-6 [地図]
全景
2010年2月28日に訪問した時の画像。石碑
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
大阪メトロ谷町線長原駅から北西へ約340m、徒歩約5分参拝者駐車場=なし、駐車=バイク×自動車×。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
一の鳥居から真田幸村休憩所跡を含めて参拝は約20分程度。志紀長吉神社末社跡も含めるともう少しかかる。
御朱印は境内に社務所があり、常時受け付けているようす。
[作成日]2019年12月18日
[更新日]2019年12月18日
[更新日]2019年12月18日
[参考]
・式内社調査報告 ・境内由緒書 ・公式ホームページ