所在地: | 大阪府交野市私市1-30-11 [地図] |
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御祭神: | 表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長帯姫命 |
公式頁: | |
社格等: | 明治5年村社 |
天田神社
あまたじんじゃ
参拝日:2011年12月21日
2011年12月21日午後の参拝、自転車で磐船神社へ向かい、近くの神社を巡拝。若宮神社から京阪交野線を越え、河内森駅から東へ直線約200mの当社に14:40頃到着。
大阪府交野市私市に鎮座。創建年代は不詳。祭神は住吉四神。
交野地方は『先代旧事本紀』に記載されている、饒速日命が天磐船に乗って河内国河上哮峯に降臨したとされる所。饒速日命を祖に持つ肩野物部氏の根拠地であった。当社も饒速日命を祀った神社であったが、平安時代にはいって住吉信仰が流行し、磐船の神も海に関係があると考えられ、物部氏の衰退もあり祭神が饒速日命から住吉神に変わったらしい。
私市というのは私部(きさいべ)や私市部(きさいちべ)からの地名で、皇后のために置かれた部のこと。肩野物部氏が敏達天皇御宇6年(577)、皇后豊御食炊屋姫(後に推古天皇)にこの地を献じたのでこの地名となった。
大阪府交野市私市に鎮座。創建年代は不詳。祭神は住吉四神。
交野地方は『先代旧事本紀』に記載されている、饒速日命が天磐船に乗って河内国河上哮峯に降臨したとされる所。饒速日命を祖に持つ肩野物部氏の根拠地であった。当社も饒速日命を祀った神社であったが、平安時代にはいって住吉信仰が流行し、磐船の神も海に関係があると考えられ、物部氏の衰退もあり祭神が饒速日命から住吉神に変わったらしい。
私市というのは私部(きさいべ)や私市部(きさいちべ)からの地名で、皇后のために置かれた部のこと。肩野物部氏が敏達天皇御宇6年(577)、皇后豊御食炊屋姫(後に推古天皇)にこの地を献じたのでこの地名となった。
参道入口の鳥居
境内入口と社号標
拝殿
入母屋造。本殿
千鳥破風、唐向拝の流造。拝殿から本殿
五社合殿の境内社
八幡大神、厳島明神、戎神、玉津島姫明神、八坂大神交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
京阪交野線河内森駅から東へ直線約200m駐車場は参拝者用ではないかも。駐車=バイク?自動車?。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
参拝は約5分程度。
境内に社務所はなかったと思う。要事前確認。
[作成日]2019年12月24日
[更新日]2019年12月24日
[更新日]2019年12月24日
[参考]
・境内由緒書 ・大阪府全志