所在地: | 京都府亀岡市大井町並河1-3-25 [地図] |
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御祭神: | 月読命・市杵島姫命・木股命(御井神) |
公式頁: | http://ooijinja.blog.jp/ |
社格等: |
延喜式内社 丹波國桑田郡 大井神社 明治6年郷社 |
大井神社
おおいじんじゃ
参拝日:2011年7月10日
京都府亀岡市大井町並河に鎮座。並河駅の東側に小学校があり、校舎に隣接する形で境内がある。小学校の敷地もかつては境内域であったといわれている。大井の名の発祥は当社にある池で、往古、亀岡の盆地は湖であったが、水が引いたあとの中心点の名残りとされ、旱魃でも涸れない「大いなる井戸」が由来。その水は鉄分を含んだ赤いものであったという。この池も以前は水がわき出ていたが、現在は地下より汲み上げている。その水も赤いことから、丹の池と名付けられた。
延喜式に丹波國桑田郡大井神社として記載されている古社。いまは大堰川から約600mほどの右岸に立地しているが、かつては対岸の河原林町勝林島に鎮座していたという口碑がある。この地は元宮と呼ばれていて、勝林島は明治初年までは大井神社の氏子圏であり、この付近では田畑に行くことを「島に行く」と言っていたので、大堰川の中州であったという説がある。元宮の地には祠が祀られているが事前調査不足にて行けていない、ザンネン。
社伝によれば、創建年代は和銅3年(710)。当社行事に貞観8年(866)に始まったといわれている競馬があるが、いまは競争はしなくなり、武者行列が神事として奉納される。
天正4年(1576)、明智光秀の丹波平定戦で兵火に罹ったが、同12年(1584)片桐且元を造営の奉行として豊臣秀吉が再興、「正一位大井大明神」の扁額を奉納した。
当社の伝説に、御祭神が京都の松尾社から大堰川を神使の亀に乗り遡って来たが、保津峡の八畳岩の辺りからの急流で進めなくなり、そこに現れた鯉に乗り換えて勝林島まで来られ、後に大井へ遷ったという。大井神社の氏子は、この鯉の大功を崇めて尊び、鯉を食べることや捕まえることもしないという。また五月の節句に鯉のぼりをあげない風習が残っている。この由来により、当社には「鯉明神」という通称がある。
松尾社から来た神は『式内社調査報告』では大山咋命と市杵島姫命、『南桑田郡誌』には酒美豆男神、酒美豆女神と諸説あるようだ。
境内入口は大堰川の方向である東を向いて鳥居が建ち、周囲は住宅街だが、社頭正面のみは開けていて、川までの田畑地帯が見渡せる。鳥居の先には舞殿型の拝殿、すぐ後方に本殿があり、すべて東向き。社殿の右側に少し大きな規模の境内社の天満宮があり、本殿後方にも境内社が七社と当社の本地仏とされる阿弥陀如来像がある。また境内南西に稲荷社があるが、見逃して行けていない。神泉の丹の池は境内の南側にある。
境内入口の社号標と鳥居
拝殿
京都府南部に多い舞殿型。拝殿と本殿
拝殿から本殿を見る
鯉明神の当社らしく、鯉が描かれた奉納額が掲げられている。本殿
新しい木の透塀の中に向拝部が長い本殿。天満宮
本社社殿の右側にある。境内社
本殿後方にある。左から松尾神社、厳島神社、出雲神社。境内社
本殿後方にある。左から春日神社、蛭子神社、愛宕神社、大原神社。阿弥陀仏像
別当寺の東光寺で祀られていた、大井神の本地仏とされる。
神泉「丹の池」
往古亀岡盆地が湖だった伝承があり、その湖の名残といわれる。交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR山陰本線並河駅から東へ約200m。参拝者駐車場=あり、駐車=バイク〇自動車〇。
並河駅から徒歩すぐ。
参拝は10分ほど。
境内には社務所がある。御朱印は現地で確認を。
[作成日]2020年01月14日
[更新日]2020年01月14日
[更新日]2020年01月14日
[参考]
・式内社調査報告 ・境内由緒書 ・公式ホームページ