所在地: | 京都府亀岡市馬路町月読16 [地図] |
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御祭神: | 月読命 |
公式頁: | |
社格等: |
貞観元年(859)正月27日 小川月神 従五位上 三代実録 延喜式内社 丹波國桑田郡 小川月神社 名神大 明治6年村社 |
小川月神社
おがわつきじんじゃ
参拝日:2011年7月10日
京都府亀岡市馬路町月読に鎮座。亀岡市域で大堰川に架かる橋の一番北の月読橋から南東方向、大堰川左岸の田圃が広がる地にぽつんと木が覆い茂っている場所が境内。『倭名類聚抄』にある桑田郡小川郷にあたるとされる所。江戸時代には月読神社といわれていた。当社のある小字も月読。
国史においては三代実録の貞観元年(859)正月27日条に従五位上の神階を奉り、延喜式では名神大社で丹波國桑田郡小川月神社として記載されている。名神大社は桑田郡では出雲神社と当社だけ。
創建年代は不詳。祭神は月読命で一致している。亀岡市大井町の大井神社と同じく京都の松尾社祭神の系譜を持つ神社で、桂川、大堰川の上流へ辿りながら開発を進めた秦氏によって創祠されたという説がある。
当社の記録に「応仁の頃、大堰川洪水にて社地流失し、其后廃絶せんとして今絶々に一小祠を存す、周囲之耕地を指して字月読と云う」とあるように、応仁年間の洪水によって社地が流失して以降近世を通じては少祠が残るのみだったが、明治に入ってからいまの姿になったようである。
大堰川はよく氾濫する川だったらしく、流路にも変化があったといい、いま境内の東を流れる古川が本流だった時代があったとされる。とすればいまの場所は大堰川の右岸となり、千代川駅南側の千代川町小川から小字月読にかけての地域が『倭名類聚抄』の桑田郡小川郷と推定されている。
千代川町小川にも月読神社があって、大堰川の流路の変化によって川向うになった小川月神社を慕って新しく建てられ、祭神も同じくして小川地区の氏神としたと言われている。
遠景
盆地、山並み、田圃、神社の木。亀岡盆地のへそのようだなと感じた。拝殿と本殿
田圃の真ん中に少し変わった造りの拝殿と本殿が並ぶ。拝殿
烏除けだろうか、ネットが張られていた。出雲大神宮から移された物であるという。本殿
本殿前に鳥居がある。社号標には延喜式内名神大社とある。境内由緒書
当神社は昔から月読神社とも言われている。「延喜式」神名部に、丹波の国桑田郡(今の亀岡市及び北桑田郡)19座の中の大社2座の一つで桑田郡第2の大社とあり、また古記録は、伊勢の内宮・外宮が今の地に遷座される前の末社であり、神代から当地に祀られていたと伝えている。
この神社は大堰川に比較的近く、応仁の頃に兵乱を大洪水のため、神域のほとんどが流出、現在はやや狭少な神域となっているが、この神社を中心とした約1.3ヘクタールの田地が「月読」として現存し、この田地が昔の神域であったのではないかと思われる。
その昔、北条時頼が諸国巡礼をし、小川月神社参拝の節、その家臣人見次郎貞村にこの神社の守護を命じた。以後人見家が30代にわたって連綿と守護をし、その後は氏子総代が神社の維持運営にあたっている。
現在は出世の神、五穀豊穣商売繁昌の神とあがめられ、遠近より参拝者が多い。
この神社は大堰川に比較的近く、応仁の頃に兵乱を大洪水のため、神域のほとんどが流出、現在はやや狭少な神域となっているが、この神社を中心とした約1.3ヘクタールの田地が「月読」として現存し、この田地が昔の神域であったのではないかと思われる。
その昔、北条時頼が諸国巡礼をし、小川月神社参拝の節、その家臣人見次郎貞村にこの神社の守護を命じた。以後人見家が30代にわたって連綿と守護をし、その後は氏子総代が神社の維持運営にあたっている。
現在は出世の神、五穀豊穣商売繁昌の神とあがめられ、遠近より参拝者が多い。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR山陰本線千代川駅から西へ約1km。参拝者駐車場=なし、駐車=バイク×自動車×。
千代川駅から徒歩約20分。
参拝は短時間。
境内には社殿のみ、御朱印は要調査。
[作成日]2020年01月10日
[更新日]2020年01月10日
[更新日]2020年01月10日
[参考]
・式内社調査報告 ・境内由緒書