所在地: | 京都府亀岡市千歳町出雲無番地 [地図] | |
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御祭神: | 大国主命・三穂津姫命 | |
公式頁: | http://www.izumo-d.org/ | |
社格等: |
弘仁9年(818)12月16日 承和12年(845)7月16日 貞観14年(872)11月29日 元慶4年(880)6月21日 延喜10年(910)7月23日 |
出雲社 預名神 日本紀略 出雲神 従五位下 続日本後紀 出雲神 従四位上 三代実録 出雲神 正四位下 三代実録 出雲大神 正四位上 日本紀略 |
延喜式内社 丹波國桑田郡 出雲神社 名神大 丹波国一宮 明治4年国幣中社 |
出雲大神宮
いずもだいじんぐう
参拝日:2011年7月10日
京都府亀岡市千歳町出雲に鎮座。御影山を神体山として、その西麓に境内がある。亀岡盆地の東側に沿った府道25号線は古街道の趣のある道路で、当社近くには古墳が多く点在し丹波国分寺跡もあって、古くから開かれた地域。
当社に伝わる「神社古絵図」によると和銅2年(709)の創建といわれている。この絵図は鎌倉時代に作成されたものらしい。神体山を背景にして鳥居が描かれていて、原始的な信仰を伝えている。古墳の分布などから、神体山を信奉する豪族によって古い段階で創祀されていたものと思われる。
一説に島根県の出雲大社の分霊を勧請したものといわれ、『徒然草』に「丹波に出雲といふ所あり。大社をうつしてめでたくつくれり」とある。またその逆の当社から大国主命御一柱を杵築の地に遷したとする説もある。
古くより社号に「出雲」が入っていたのは当社だが、どうなのかな。。
いま祭神は大国主命・三穂津姫命の二柱の御神格を併せて主宰神と称し、他に天津彦根命、天夷鳥命を祀るとされる。別伝には天津彦根命、天夷鳥命、三穂津姫命の三柱とする場合や、三穂津姫命一柱とする場合がある(『一宮記』)。宮司家がまとめた『出雲大神宮略解』には大国主命は宮司家によって付加されたのではとする説もある。
『神社覈録』『特選神名蝶』は三穂津姫命一柱とし、『式内社調査報告』は「要するに主神は三穂津姫命らしい」としている。
弘仁9年(818)、名神に列せられ(『日本紀略』)、承和12年(845)に従五位下の神階奉授(『続日本後紀』)、その後累進を重ね、延喜10年(910)、正四位上の神階を賜り(『日本紀略』)、丹波国内の最上位であった。延喜の制では名神大社に列せられた。
万寿2年(1025)、丹波国司源経頼は国内の旱魃に対して、留守所の在庁官人を通じて当社の9人の供僧に雨乞と五穀豊穣の祈願のため大般若経転読を命じている(『左経記』)。11世紀初頭には国衙機構と連動した神事を行う神社としての地位があったといえる。
『吾妻鏡』にある元暦元年(1184)の後白河法皇院宣に「丹波国一宮出雲社者、蓮華王院領也、預給能盛法師、年来令知行」とあって、12世紀後半には確実に一宮の呼称を得ていた。また当社の社領は蓮華王院(三十三間堂)領に属していたことがわかる。蓮華王院は後白河上皇の発願によって、平清盛が造営した寺院。このころの丹波国は院の分国で、当社社領は国衙領から蓮華王院領となり、実質は皇室領の一部となっていた可能性が強いとされる。
南北朝時代には、朝廷や国衙との関係は後退し、室町幕府との結びつきが強くなり、いまの本殿は貞和元年(1345)足利尊氏によって修造したものと伝えられ、文和3年(1354)には社領安堵状を寄せている。
明治4年国幣中社に列せられている。
府道25号線の千歳交差点の少し南に参道入口がある。参道の左側に宮池があり、社号標と鳥居を過ぎると檜皮葺の拝殿。本殿前には神門と透塀があり、こちらも檜皮葺の屋根。本殿は三間社流造で国重要文化財の指定。拝殿の右側から境内社への参道があり、いくつかの磐座もある。
境内社は古くは36の摂末社があったらしいが、いまは弁財天社、上ノ社、笑殿社、春日社、稲荷社、崇神天皇社、黒太夫社がある。境内社参道から御影山へ登る道がある。
参道の社号標と鳥居
社号標は「国幣中社出雲神社」と刻まれている。境内入口の鳥居
享保3年銘がある。鳥居の扁額
手水舎と真名井の井戸
境内参道
夏越祓の茅の輪が残っていた。拝殿
舞殿風の拝殿。檜皮葺が美しい入母屋造り。拝殿と御影山
別の角度からの拝殿。快晴の空。拝殿、後方の神門、本殿
空と緑と社殿のコントラストがいい感じ。神門
神門の前で参拝。
本殿
貞和元年(1345)足利尊氏の建立によるもの。右側に回り込む境内社参拝道があり、そこからの撮影。
境内東側に境内社参拝道があり、そこにいくつかの境内社や施設が点在し、御影山への道もある。以下、他の場所にあるものと合わせて参拝した順に掲載してみる。
弁財天社
表参道の左側にある宮池。そこに鎮座する弁天様の社。
夫婦岩
手水舎の左後方にある。笑殿社
境内南西部の東側参道にある。
笑殿社
祭神少彦名命・事代主命。崇神天皇社
境内社参道の入口近くにある。祭神御真木入日子印恵命(崇神天皇)。
境内社参道
春日社へ向かう途中の鳥居。春日社
社殿はなく磐座に祀られている。祭神は武甕槌命、天兒屋根命。
磐座
本殿背後に位置する磐座。稲荷社
来た道を少し戻り、御影山へ向かう道沿い。
御蔭の滝
上の社
祭神は素盞嗚命、奇稲田姫命。
御影山への参道
更に登っていくと神明鳥居、神聖な雰囲気。御神体山國常立尊の看板
鳥居を抜けるとすぐに「御神体山國常立尊」の看板が立つ地点。國常立尊は天地開闢の神。ここから先は禁足地。
裏参道鳥居
残る末社、黒太夫社を目指して山を降り、裏参道の鳥居から境外へ。黒太夫社境内入口
府道25号線沿い。
黒太夫社
祭神は大山祇神、猿田毘古神。祖霊社
黒太夫社境内にある。
千年宮鳥居
2017年5月に参拝した時、新しく建てられていて少し驚いた。平成28年(2016)10月に建立したもの。神社辞典
出雲大神宮の項
京都府亀岡市千歳町出雲。旧国幣中社。(現、単立神社)
祭神は大国主命・三穂津姫命(別に異説もある)。島根県の出雲大社を勧請したというが、また逆に当社祭神を遷し祀ったのが出雲大社だとも伝え、俗に元出雲の称がある。千年山(御蔭山・御影山とも)と呼ぶ神体山をもち、ために千年宮の称もある。
社伝によれば、元明天皇の和銅2(709)年に社殿を建立したという。弘仁9(818)年には名神に列したと『日本紀略』に見えるから、古来の名社であったに違いない。『続日本後紀』『三代実録』には神階の加叙を載せ、社蔵の文書によれば正応5(1292)年正一位の極位に至ったとある。
延喜の制では国幣の名神大社に列し、万寿2(1025)年、早天に慈雨を祈って霊験を得たと丹波守・源経頼は記述し(『左経記』)、また寿永3(1184)年源頼朝は院宣により玉井四郎資重の濫行を停止せしめた。思うに丹波国一の宮として、また蓮華王院(三十三間堂)御領として、平安から鎌倉期にかけて相当の社勢を誇ったとみられる。引き続き天福2(1234)年北条泰時は神領安堵を下知し、足利尊氏は貞和元(1345)年に社殿を修造し、文和3(1354)年に社領安堵状を寄せている。現存の本殿は、社伝によれば貞和修造時のものといい、後世多くの修補をほどこしているが、重要文化財に指定される。古くは三六所の摂末社を有したが、現在は上ノ社、黒太夫社、笑殿社、春日社、稲荷社、崇神天皇社の六社を存する。
例祭10月21日。特殊神事に粥占祭(2月15日)、花鎮祭(4月18日、風流花踊あり)、法会(8月18日)などがある。なお当社には著名な古絵図を伝存する。天福2年の下知状に基づき、社領を描く目的で製作されたと思われるものである。画面の下方に神体山を描き、山を背景に一基の鳥居が建つ。和銅2(709)年の墨銘(社伝にいう社殿建立の時期を示すか)をもち、原始神道的な社頭の景観がみられる。
祭神は大国主命・三穂津姫命(別に異説もある)。島根県の出雲大社を勧請したというが、また逆に当社祭神を遷し祀ったのが出雲大社だとも伝え、俗に元出雲の称がある。千年山(御蔭山・御影山とも)と呼ぶ神体山をもち、ために千年宮の称もある。
社伝によれば、元明天皇の和銅2(709)年に社殿を建立したという。弘仁9(818)年には名神に列したと『日本紀略』に見えるから、古来の名社であったに違いない。『続日本後紀』『三代実録』には神階の加叙を載せ、社蔵の文書によれば正応5(1292)年正一位の極位に至ったとある。
延喜の制では国幣の名神大社に列し、万寿2(1025)年、早天に慈雨を祈って霊験を得たと丹波守・源経頼は記述し(『左経記』)、また寿永3(1184)年源頼朝は院宣により玉井四郎資重の濫行を停止せしめた。思うに丹波国一の宮として、また蓮華王院(三十三間堂)御領として、平安から鎌倉期にかけて相当の社勢を誇ったとみられる。引き続き天福2(1234)年北条泰時は神領安堵を下知し、足利尊氏は貞和元(1345)年に社殿を修造し、文和3(1354)年に社領安堵状を寄せている。現存の本殿は、社伝によれば貞和修造時のものといい、後世多くの修補をほどこしているが、重要文化財に指定される。古くは三六所の摂末社を有したが、現在は上ノ社、黒太夫社、笑殿社、春日社、稲荷社、崇神天皇社の六社を存する。
例祭10月21日。特殊神事に粥占祭(2月15日)、花鎮祭(4月18日、風流花踊あり)、法会(8月18日)などがある。なお当社には著名な古絵図を伝存する。天福2年の下知状に基づき、社領を描く目的で製作されたと思われるものである。画面の下方に神体山を描き、山を背景に一基の鳥居が建つ。和銅2(709)年の墨銘(社伝にいう社殿建立の時期を示すか)をもち、原始神道的な社頭の景観がみられる。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR山陰本線千代川駅から北東へ約3km。亀岡駅と千代川駅を結ぶバスがある。参拝者駐車場=あり、駐車=バイク〇自動車〇。
千代川駅から徒歩約45分。
参拝は御蔭山(禁足地手前まで)を含めて約1時間30分程度。
境内に授与所があり、常時受け付けている。
[作成日]2020年01月07日
[更新日]2020年01月07日
[更新日]2020年01月07日
[参考]
・式内社調査報告 ・神社覈録 ・特選神名蝶 ・南桑田郡誌 ・日本の神々 ・神社辞典 ・境内由緒書